「戦没者霊園」  池部淳子  (随筆通信 月17より)
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こいしかわだより
戦没者霊園
池部淳子

 春日通りを小石川から後楽園の方へ向かっていくと、後楽園駅におよそ500メートルほどのところ右側に、中央大学理工学部の校舎があって、樹木の一群があたりを静かに、さわやかにしています。いまや都心で学校は緑に囲まれている数少ない場所で、目や心を和ませる貴重な環境です。

 この大学の緑の続きのような一角があって、少し奥まった小公園を推測させるこの場所を、バスの中からぼんやりと眺めたり、側を通った時はうっかり通り過ぎてしまったりして、惹かれながらも、何があるのか調べませんでした。

 ところが、この場所を偶然に知ることになりました。小石川から春日まで歩くことになった4月末の日、珍しく急ぐこともなく、ゆっくりとした昆取りで中央大学理工学部の側まで来て樹木を味わいながら進み、例の緑の奥に静かなたたずまいの気配がする場所に来ました。

 私は俳句を作っていて、幾人かの仲間と、「吟行」という俳句をつくるための散策をします。遠方に出かける時もあり近くの史跡や森林や公園に出かける時もあります。そのため吟行に適した場所を探すことが意識のどこかにあります。

 その時も急に吟行のことが頭に浮かび、奥まった静かな感じのこの場所を見てみようと思いたち、さりげない門から入りました(じつは、そこは側面の入り口だったのですが)。

 思った通り一見人工的な公園でしたが、園の芯となっている鎮魂碑と側の碑文を読んで、そこが「東京都戦没者霊園」であることを知りました。

 私は戦時の経験がありません。この霊園設立の経緯も知りません。ただの通行人にすぎません。しかし、この碑文の訴えは心を打ち、「戦争をしてはならない」ことが人類の「永遠に不滅の原則」であることを知らせます。

 碑文を紹介いたしましょう。

    あの苦しい戦いのあと、四十有余年、私たち
    は身近かに一発の銃声も聞かず、過して来ま
    した。あの日々のことはあたかも一睡の悪夢
    のように、遠く悲しく箭して来ます。
    だが、忘れることができましょうか。かつて
    東京都の同朋たちの十六萬にも及ぶ人々が、
    陸に海に空に散華されたことを。あなた方の
    その悲しい「死」がなかったら、私たちの今
    日の「生」もないことを。
    そして後から生れて来る者たちの-いのちL
    のさきわいのために、私たちは何時までもあ
    なた方の前に祈り続けることでしょう。
    この奥津城どころは、私たちのこの祈りと誓
    いの場です。同時に、すべての都民の心の憩
    いの苑でもありましょう。
    この慰霊、招魂の丘に、御こころ永遠に安か
    れと、荻にこれが辞を作る。山本健吉

 偶然にも鎮魂の碑文が俳句の鑑賞・評論家山本健吉氏のものであったことにも驚きました。

(『月』発行人)

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随筆通信 月 2004年5月号/通巻17号


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