「五分間の人生哲学」  蒲 幾美  (随筆通信 月19より)
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五分間の人生哲学
蒲 幾美

 ビル添いの初夏のバス停。昼近い強い日射しの中四、五人掛けの長椅子の一つが木製なのが救われる。古い日傘の中にいるのは私一人。中年の逞しい男性が近くのコンビニの袋を提げ、どかっと椅子に掛けて五、六分。影の無いバス停に待つことに堪えられぬのか、不機嫌に立上ると駅の方面へ去っていった。

 次に老紳士が掛けた。どこか気品があるプライドで生きているような風貌。白いワイシャツ、ベージュのズボン。あれっ!ズボンはコール天生地。何故、そうか身の回りを気づかう夫人に先立たれたのか。紳士は白髪まじりの面長の顔に汗を滲ませ、口を一文字に結んでじっと何かを考えている。一番強いといわれるこの季節の紫外線をまともに受けたら、たちまち日焼けするだろう。紳士でなく婆さんだったら傘を差し掛けるのに……。

 舗道を今流行の紫外線除けの黒いパラソルが往き来する。

 突然紳士が喋り出した。「待つ時間は長いですね」それが私に向けられていると知り相槌を打った。そして「孫というものは小学校五、六年から中学になると遊んでくれない。小さい頃は可愛がったのに……。今度()孫が生まれるので、曾孫と遊ぶのを楽しみにしているんですよ」と。思わぬ話題に驚いたが、「今の子供たちは、電化のおもちゃや新時代の環境の中で育っているので、曾孫にしてもせいぜい爺ちゃん、婆ちゃんまでで曾婆ちゃんまでは視野に無いですよ」とつい口に出してしまった。

 紳士は若い頃はスポーツをやり、今は読書と歩くこと、体力の保持につとめているという。

 「歳をとると体力が衰える。カルシウムが必要なので、今日はちらしの安売りを見て、百円牛乳と五十円の焼き鳥を二本買ってきました。安くてもカルシウムは変らないからね」話題は続く。田園都市駅のデパートの食品売場やコンビニは、設備費や人件費がかかっていて高い。それに比べ離れたこの田舎町のコンビニや八百屋は良心的で、八百屋など一家総出で汗を流して働き、新鮮で安くという気迫が伝わってくると。雑貨から文房具の良心的な店まで紹介された。

 「私はお陰さまで恵まれた暮らしをしている。東大を出て教員をしていたのでこの近くにも十人近い教え子がいる。今、弁護士をしているので暮らしは裕福だが、戦争を体験しているので無駄なことが出来なくてね」と経済的に豊かな生活を強調。「私は大正生まれだが、あなたも大正ですか」とも。「現役の弁護士先生ですか」と言うと胸を張って「そうです。歳をとっているので依頼は少ないが」と。

 バスが来た。「お先に失礼します」と乗り込む。さて、見知らぬ人間に心境から学歴、経歴を語る。真偽は知らぬが、紳士には知性ではどうすることも出来ぬ心の翳り(痴呆)がちらちら見えはじめていた。いずれ私もあなたも辿る道なのだが……。

(川崎市 郷土史研究家)

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随筆通信 月 2004年7月号/通巻19号


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