「真赭花のすすき」  蒲 幾美  (随筆通信 月21より)
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真赭花(まそお)のすすき
蒲 幾美

 若い頃から共に商家の嫁で、環境も趣味も同じ、お互い協力し合ってきた友人が伴侶の死とともに薬剤師という仕事を息子夫婦にまかせて余生の過ごし方を決め、ケアハウスに入所した。その生きざまに感動、私は彼女が落着いた頃郷里のケアハウスを訪ねた。

 尽きない話題の中で私はふと「こんど“飛騨つれづれ草”という、足で調べた昔語りを本にしようと思う」ともらした。その時彼女は「徒然草で思い出した。古典にあった“ますほのすすき”が家の庭にあるので、どこにもない赤い芒を送るから」と言った。

 遠い日、郷里にいた頃、国文の先生を招いて自宅で四、五人で古典の読書会を続けていたが、親しい伸間のような青年教師が突然交通事故で他界、私達はショックで読書会は立ち上がれなかった。

 友に会ってから五ヶ月ばかり過ぎた初夏のある日小さな小包が届いた。さ緑の株分けした20pばかりの柔い芒が十本程、郷里の土に包まれていた。心の通い合う友情にしみじみ胸が熱くなった。芒は二つの鉢に移植して一つは庭隅に、一つは道路添いの土堤に置いた。“ますほのすすき”と言うリズムに乗った美しいひびきが頭のどこかに残っていて、さて、どの古典に出ていたのか、先ず「徒然草」の出版物を探した。二百頁余、解説から上下二三四段。すっかり忘れていた若い頃引いた棒線など、何時間かかけて斜読みしたがそれらしい植物名は見当らぬ。家にあるだけの辞書を調べても見つからぬ。博学の友人に電話すると、「ああ、“ますほのすすき”ね…。頭には残っているのよ。古今和歌集の撰者紀貫之の歌だったかしら…。調べてあとから連絡します」と。あれこれ間答の末、古語辞典にのっていることが解った。何故一番先に古語辞典に気づかなかったか…。呆けが始まったのかなと思う。

西行の家集。三巻約一六○○首。編者不明。「真緒」まそほの転。赤色。「花すすき月の光にまがはまし深きますほの色に染めずば」〈山家集上〉。山家集は西行法師の歌集。
 数多い古典の中の一首を記憶はしていたが三人共作者や出典までは記憶していなかった。人間の記憶というものはやはり限度があるのだと思う。犯人探しなど証人にも人それぞれの記憶の強弱の違いがあって、果してどれが正しいのか判断もしにくい。

 芒の季節になって庭の鉢を探したが、野草苑のような庭はさまざまの草花の勢いに押されて茂り、芒は一本細いのが生きている程度で失望し、土堤の鉢を見ると太陽と風を浴び鉢いっぱいに青々と育っていて嬉しい。

 古典につながる友情がこの地に根強く生きつづけますように念じ、いつになったら赤い芒の穂の出るのかと待っている。

(川崎市 郷土史研究家)

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随筆通信 月 2004年9月号/通巻21号


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