こいしかわだより
別世界
池部淳子
出版に関する仕事をしていると、書籍の本文の整理・編集をする、校正をする、デザインや装幀を考える、同時に執筆もすると、ベルトコンベアーに載ってくる様々な届け物のように、次から次へと日々様々な行程の仕事があり、そのうえ全体の流れからみて、これを片付けておけばあとが楽になるかもしれないなどと欲を出し、一つ、二つ余計に仕事を詰め込んで自分を縛ってしまいます。
そうなると外出する時間も惜しくなり、休憩もありやなしや、せいぜい最低の睡眠時間だけは何とか保とう(仕事のために)というような状態に陥ってしまいます。毎日を机およびその周辺ですごすようになり、外界から孤立して、仕事の虜と化してしまいます。
こうなったら自分を仕事のできない状況に置くしかありません。無理に仕事からきりはなそうというわけです。実は昭和40年頃からおよそ20年、喫茶店というものが全盛だった時代がありました。その頃の喫茶店は少し大きめのソフトな椅子に、原稿用紙を広げて書き物ができる程度のテーブル、店内にはクラシック音楽や映画音楽の名曲などがかすかに流れていました。二人席か四人席が主で、飲み物はコーヒー、紅茶、ジュース類で、それ以外にはせいぜいアイスクリーム、トースト、サンドウィッチがあるくらいでした。これらのメニューのうちの一品か、二品の注文でかなり長い時間をすごせました。店内ではほとんどの人が本を読んだり、書き物をしたり、連れと語り合ったりしていました。
個人にとってこの喫茶店は、仕事や学業という本業の場でなく、生活を中心とする家庭(家一の場でもない、第三の場所だったのです。つまり仕事・家庭を離れて時間をすごせる場所だったのです。身近にあった別世界だったのです。
現在、仕事を忘れさせるために私を別世界へ運んでくれるある事情があります。それはいわきに住んでいた両親が残した家の風入れのために、故郷いわきへでかけていくことです。そしてその日は、叔父、叔母の四人に三人の友人が加わって俳旬の句会を開く日なのです。
常磐線に乗って上野を発ち、利根川を渡り、土浦、水戸をすぎて、日立あたりから右の車窓に切れ切れに海が見えはじめ、やがて茨城県から福島県へ人る境のトンネルを抜けると目の前に海が広がります。トンネルを出てすぐの駅が私の降りる勿来駅です。上野を発って二時間、私は窓外の景色を見やりながら仕事を忘れてゆきます。
日常と違う別世界というのは、場所的別世界、時間的別世界、そして精神的別世界ということになります。私は今後まだまだ白分のためになる、よりよい別世界を手に入れたいと思っています。
(『月』発行人)
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