「三寺まいり」  蒲 幾美  (随筆通信 月25より)
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三寺まいり
蒲 幾美

 松の内がすむと、浄土真宗の信徒が多い飛騨では年内行事の三寺まいりがある。正月九日の夜から十六日の昼までをお七夜・お七昼夜と言って法要を行うが、親鸞上人入寂の十五日の夜は法恩謝徳の法要が古川町の西本願寺派の真宗寺・本光寺・円光寺で行われる。

 一月中旬といえば殊のほか寒さがきびしい。大きな牡丹雪がぽとぽと降る時もある。粉雪が音もなく嵩む宵もあり、凍てつく夜もある。凍った道を歩くには小走りにカラカラ高下駄を路面から離さないようにらせ、泳ぐように身体で調子をとりながら歩く。これは雪国育ちでなければ出来ぬ芸当だが、この頃は高下駄でのお詣りは無くなった。

 三ヶ寺の内陣には何十丁のろうそくが灯り、広い御堂には直径三十センチ余、丈は七、八十センチ、重さ十三キロから十五キロの子供の背丈ほどもある大ろうそくの一対がゆらりゆらりと金色の内陣を輝かす。その中で読経のひびきとともに邪念は消え去り恍惚となって念誦するのだった。

 古川町にこの三寺まいりの大ろうそく作りの老舗がある。先代と親しくしていたが法燈を作る日は夜明け前に起き斎戒沐浴して日暮れまでひと息に法燈づくりにとり組む。昔ははぜの木の実を圧縮して自製したという。深い鍋に原料の木ろうを入れ火にかけて飴のようになるまで溶かす。十五キロの大ろうそくともなると芯棒にひと握りもある灯心を巻きつける。これに溶かした機をなすりつけるが、大寒の冷えで蝋はすぐ固まる。その上にまた重ねる動作は数千回も繰り返し、少しづつ太ってゆくろうそくは、頭部を丸く胴はすんなりと引き締め、.裾は広げ手加減で流れるように美しい線を出してゆく。最後の形作りには、犬ろうそくを抱えると上部に刃物を当て、ゆっくりと回しながら切り込むと、ずしんと上部が切れて落ち、芯がくっきり顔を出す。その切口は木の年輪を思わせる。主人の彫りの深い顔には寒中というのに汗がにじみ、何者にもおかされぬ厳しさが漂っていた。

 三寺まいりの起源は宝永三年(一七〇六)東本願寺派だった真宗寺・本光寺と高山御坊(照連寺)との間で確執が生じ、円光寺だけが西派だったが東派の真宗寺・本光寺が談合して西派に転じたため、門徒が欣喜雀躍してお逮夜には手次の寺だけでなく他の二ヶ寺へもお詣りするようになったという。「本光寺・真宗寺・故有西本願寺派へ転じた」と飛騨編年史要にある。

 三寺まいりが男女の縁結びになり「嫁を見立ての三寺まいり髭に結わせて礼まいり」の古い民謡がある。雪の降る街やろうそく屋が近年朝のテレビドラマ"さくら"のロケ地になり、若いドラマのカップルが愛をはぐくんだ。

 古い伝承の廃れてゆくこのごろでも、一月十五日の夜の飛騨の町には三寺まいりの大ろうそくが燈々と輝いているのである。

(川崎市 郷土史研究家)

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随筆通信 月 2005年1月号/通巻25号


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