「脱力」のすすめ  杉山康成  (随筆通信 月25より)
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「脱力」のすすめ
杉山康成

 一年の計は元旦にありという。ここ数年、新年を迎えると努めてその年のテーマを決めるようにしている。決めるといっても何かに書くわけでもなく、途中で変更することも珍しくない。新たに思いつけばその都度付け足す。こんなルーズな一年の計だが、やってみると、それなりに効果はある。もし一年で終わらない場合は、もちろん次の年に繰り越しである。いずれにせよ自分のことだ。どうやろうが勝手なのである。今年のテーマはかねてから「脱力」にしようと思っていた。

 「脱力」を大いに意識するようになったのは、昨年、ピアノのS先生に、散々手首の力を抜くように指導されてからである。手首の力を抜くとはどういうことなのか。力を完全に抜けばだらりとしてしまいピアノは弾けない。当初、何ともつかみかねたが、とにかく椅子から立ち上がって固まっている手首をぶらぶらさせてみたり、思い切って上下左右に動かしてみるうちに、それまでいくら注意してもつかえていた箇所が急に魔法のように通ることがあり、力を抜くことの重要性を思い知らされることになったのだ。弾けないと余計むきになって指をコントロールしようとする。しかし、コントロールしようとする思いこそが、実は手首を固まらせ、指の動きを妨げてきたのである。このピアノにおける体験は全く新鮮で、自分が人生でそれまで取ってきたアプローチの限界をはっきり悟らされることになった。つまり、これはピアノに限られた問題ではない。物書きにおいてもビジネスにおいても、自分が向上しようと取り組む全てのことに当てはまるように思えたのである。

 「脱力」しなければならないのは、すでに余計な力が入っているからだが、そもそも理にかなった力の入れ方をするにはどうすればよいのか。ピアノにおいては、何をおいてもまずよく音を聴くことが大切だ。そして指を動かそうとするのではなく、イメージした音を響かせるよう心がけなければならない。それをピアノ以外のことにどうやって応用するかが、今年の課題である。ただ、恐らく何をやるにしても、無闇に力を入れる前に、何が最も大切なことかはっきり意識しなければならないのは確かなようである。

 とはいえ、最初からあまり構えてみても始まらない。まずはいつも「脱力」を心がけることから始めよう。そして時には、億劫がらずに椅子から立ち上がり、手をぶらぶらさせてみるのである。

(東京都 会社社長・理学博士)

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随筆通信 月 2005年 1月号/通巻25号


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