「新老人」  蒲 幾美  (随筆通信 月27より)
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新老人
蒲 幾美

 大学前のバス停。発車待ちのバスには七十歳代のおばさんが一人。土曜日で大学は休みらしい。男女の学生らしい二、三人がきちんとした服装で乗り込んだ。おばさんは前に掛けた女子に話しかけた。「あなた学生さん」「いいえ、今入試をすまして来ました」「まあそうなの、全部済んだの」明るい顔の女子におばさんは「きっと受かったわよ」と、にこやかに言った。どこから来たのか聞いていたが「ええっ!宮城県、うちの二人の息子の嫁さんも宮城なの。宮城っていいとこねえ」と、おばさんは身を乗り出した。合格したら多摩市の叔母さんの許から通うのだという。

 別の語し声がする。「ちょっと緊張した」と明るい声。携帯電話での報告らしい。二人の男子が入って来た。「やっと終わった、これから帰って寝るか。今心配しても始まらぬ。発表まで何も考えないことにして、がっくりするか喜ぶか…」会語の中に度々福祉という言葉が出てきた。福祉を目ざす若者たちなのだ。都塵にまみれていない素直さが伝わる。バスは小田急の終点駅に着いた。

 おばさんは先に降りた。「きっと合格しているよ、頑張りなさいね」と降りてくる一人ひとりに声をかけ、孫を見送るようにいつまでも立っていた。

 殺伐とした現在の世相の中で、目標を持って出発する若者に私も心で声援しながらそれを態度に表すことが出来なかった。人間の命に携わる人と人との触れ合う福祉地域杜会の中で、お互いに支え合うことを学んでゆくのだ。現代の若者の中にも福祉問題を考える若者が大勢がいることに私は希望がわいて来た。

 人間必ず老いが来る。生命のあるものすべてに。日野原重明聖路加国際病院名誉院長の説によると、七十五歳からが新老人という。長命社会になって百歳も珍らしいことでなくなった。長生きとは「自分の使える時間」のことだとも。自分の意志で行動できなくなってゆく時、これを支え、少しでも生きてゆくことの価値を援助する介護の必要を思う。

 私は数年老人介護に当った。人生には予期せぬ事件や事故や病魔に遭遇する。そして福祉や介護の必要な時が来る。時代の変遷は昔の家族制度から核家族になり、子供らは親元を離れて独立してゆく。結局犬勢の子供がいても歳月とともに老人夫婦が残り、老・老介護となってゆく。

 私は介護を体験して、家族では支え切れない、介護の限度のあることを知り、介護制度と介護施設のありがたさを痛感した。そして専門医から看護師、介護支援専門職員、ホームヘルパーほか訪問看護師や関係職員の方々の優しさと心の通う介護の在り方を学んだ。

 いま学生たちが福祉という人間の命を守る純粋な出発点に立って、どうかいつまでも命の大切さを忘れないでほしいと唯々心から願うのである。

(川崎市 郷土史研究家)

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随筆通信 月 2005年3月号/通巻27号


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