「挨拶」  池部淳子  (随筆通信 月28より)
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こいしかわだより
挨拶
池部淳子

 昨日からの雨で東京の桜の花はすっかり散り敷いてしまいました。テレビは明日の天気予報を告げています。

 現在の私にとってテレビは気分転換用の道具のような役割なので、情報収集という役割を十分に果たしていません。テレビの番組は偶然見るにすぎないので、あまり堂々とは言えないのですが、実はある番組で、私は一瞬清々しく感じることがあります。

 NHKの番組に「その時歴史が動いた」という番組があるのを皆さんご存知と思います。その番組でのことです。

 その番組は放映の最後に、毎回「今晩もこの番組をご覧下さいましてありがとうございました」と松平アナウンサーがテーブルの上に両手をついて頭をさげ、お礼の挨拶をするのです。私は感謝を表すその姿に、爽やかさを感じます。

 挨拶には様々な挨拶があります。「おはよう」から始まって「おやすみ」までの一日のうちには、人に出会った時.別れる時の挨拶、訪間の挨拶、紹介の挨拶、退席の挨拶、物を差し上げる時の挨拶、いただいたお礼の挨拶、等々。また、公式な会議や、冠婚葬祭の席での挨拶もあり、手紙、文書での挨拶もあります。こうして挙げてみると、人間社会の中では随分多くの挨拶があるものです。

 実は若い時は挨拶は上辺ばかりの偽善的なやりとりと思えて、挨拶を侮っていました。そのため良い挨拶を見通すことができませんでした。良い挨拶を学びとることもできませんでした。

 しかし、社会に出て働くようになると、きちんと意志や情報を伝えなくてはなりません。適切な表現によるコミュニケーションを学ぶことになります。そして自然に表現を選ぶようにもなります。

 挨拶が単なる形式である場合が多いのも事実です。習慣や常識にしたがうだけの場合もあります。

 しかし、挨拶がその人の意志の表現として慎重に選択されている場合もあります。状況や立場や礼節や美や思いやりを考慮して選ばれた挨拶は、それらがおのずから相手の心に伝わるでしょう。

 挨拶の言葉も文字もその人の選択による表現であると考えるとき、挨拶は侮れません。短い挨拶でも、きちんと挨拶するということはなかなか難しいことです。若い時に想像していた以上に挨拶には意味があり、同時に自分を客観的に見つめる余裕が必要であると知りました。適切で美しい挨拶をする人は多分知的な人です。

(『月』発行人)

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随筆通信 月 2005年4月号/通巻28号


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