「卒業」  杉山康成  (随筆通信 月28より)
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卒業
杉山康成

 先日、長女が小学校を卒業した。一学年一クラスの小さな小学校なので、家族的な雰囲気の中、出席者一同、暖かい眼差しで一人一人の成長を祝福した。人場のときからすでに感極まって涙を流す子供達が多いなか、普段はあまり感情を表に出さない我が娘も涙をこらえるのに必死の様子だった。

 子供達の涙につられるように、親達の胸にも熱いものが湧き起こる。つい先日、入学したばかりと思っていた子供が、いつの間にか見違えるように成長し、大きな怪我もなく、無事に卒業式に臨む子供の姿をみて喜ばない親はいないだろう。しかし、子供達の感慨は、親のそれとはちょっと違うようである。彼らにとって成長は当たり前で、昔の自分も今の自分も同じである。そんなことより、最近の友達同士の充実した時を思い、別れを惜しみ、将来に向けた期待と不安に胸を詰まらせているのである。そうなのだ。子供はいつの間にかおとなになっているのである。わが娘も、この2年ほどの間に、自分にとって何が大切で、どんな努力が必要なのか、自分なりの考えを持つようになった。子供の成長は、運動能力や知能だけではない。そうした心の成長に触れるとき、つくづくおとなになったと感じるのである。

 娘の表情をビデオで追ううちに、いつしかかつての自分自身を思い出していた。いまから35年前、ちょうど大阪万博で日本中がお祭り騒ぎに沸いていた頃、僕は小学校を卒業した。

 僕の小学生最後の1年は充実していた。しかも、前年のアポロ11号の月着陸に刺激された少年の夢は、未来に向けて大きく膨らんでいた。にもかかわらず、卒業してから中学校に入学するまでの2週間あまりの間、一人で家にいると涙が止め処もなく溢れ出てきた。なぜだか良くわからない。確かに何もかもうまくいっているように見えた。しかし、心の中には何ともいえぬ空しさがあった。その後の人生に待ち受ける苦難を、僕はそのときすでに予感していたのかもしれない。

 成長が必ずしも人生をらくにするわけではない。成長した心が、必ずしも現代の社会と折り合いをつけられるとは限らない。また、自らの理想と現実の間で葛藤しないとも限らないのである。娘はまだ出発点に立っているに過ぎない。今の彼女が、かつての僕自身と同じ不安の中にいないと言えようか。しかし、今振り返ると、そうした不安は、感受性が強い思春期を生きるものの特権である。僕はあえて娘に、大いに悩み大いに傷つけと言いたいのだ。それが、その後の人生に何ものにも代えがたい宝を残してくれるだろうから。

(東京都 会社社長・理学博士)

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随筆通信 月 2005年 4月号/通巻28号


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