「巨大な楠」  池部淳子  (随筆通信 月30より)
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こいしかわだより
巨大な楠
池部淳子

 文京区自山うえの地域で一際高く目立っている建物は「東洋大学」です。それは小高い丘の上に建っていて、しかも二十階ほどはあるでしょうか。大学は見るからに最先端の高層建築と感じさせる整った姿を高々と空に浮かべています。

 大学の正門を常に守衛が守って目配りをしていますが、その正門前を通る時、私はいつもさわやかな気分になります。 正門から見ると建物までなだらかな上り坂で、幅の広い緩やかな階段を上っていくようになっています。階段の中央部には縦に、常に水が流れ下るように設計されていて、その流れをはさむように植えられた縦二列の樹木が、いまは美しい青葉になっています。そして、ずっと奥の一段高いところに一人の男性の銅像が堂々と胸を張って立っています。あたかも樹と水と石の階段のハーモニーの中を銅像の人物に向かって上っていくかのようなこの風景から、設計者の意図が感じ取れます。

 この東洋大学が坂の下に6号館を作りました。四月からの使用を目標に工事が進められたらしく、現在は大勢の学生が出入りしています。この6号館には完成と同時に入口ちかく直径一・五メートルはあろうかという見事な大樹が運ばれて来て植えられました。 藁や布で巻かれ、全身包帯だらけといった様子のその樹は一度は葉が黄ばみ、力を失ったように見えましたが、初夏に入る頃元気をとりもどし、薄緑色の若葉となってきました。

 正門の雄大さと違って6号館の入口の敷地はそう広くはありません。この巨木一本以外にめぼしいものは何もありません。いや、6号館のためにはこの一本の巨木のほかは何も付加しないというはっきりとした意図を感じます。

 いま青葉となって、ここにしっかりと命を保つ覚悟ができたようなこの巨木は一体何の樹なのか、推測はしていましたが確認をしたいと思い、6号館の敷地の入口にいる守衛さんに「大きな樹ですばらしいと思って眺めているのですが、この樹は何の樹ですか」と尋ねてみました。守衛さんは怪語そうなそぶりも見せずすみやかに「これは楠です。木偏に南と書く楠です」と教えてくれました。

 学生は四季折々6号館への行き帰りにこの巨大な楠のそばを通ります。そして。この楠のような雄大な精神の人物のなりたいと感じるかもしれません。いや、そう思ってほしいために他のものを排してこの巨木を選んだと受け取れます。

 正門のありさまと6号館の前の巨木からは「未来」を形にして、暗黙のうちに学生に送るメッセージにしようとした設計者の知性と情熱が伝わってきます。

(『月』発行人)

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随筆通信 月 2005年6月号/通巻30号


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