「魔法の箱」  蒲 幾美  (随筆通信 月30より)
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魔法の箱
蒲 幾美

 富士山麓へ出かけた。晩春の富士は青空に山頂から裾六分位まで白雪をまとい悠然と気高い全容で鎮座。裾野は菜の花畑が続き水田が光る。飛花の中を奥へ進むにつれて山桜が美しい。

 日々ラッシュに揉まれている若者が、走る窓外を眺めながら「こんな所に住みたいなあ」と独り言。突然「車を止めて!」の叫び声に何事かと驚くと「土堤に土筆つくしがいっぱい十五分時間頂だい」と言う。都会育ちの彼女は摘草は土筆しか知らないので土筆を見るとじっとしていられないらしい。私は根っからの山国育ち、ふきとうにはじまり、わらぴ、ぜんまい、楤の目やあずき菜など山菜の宝庫で、その頃は土筆が食べられるとは知らなかった。

 欧米型の食生活は肉食、肥満は大人から子供、ペットまでも健康が危ぶまれ、ようやく自然食の良さが見直されるようになった。自然食とはつまり素食のこと。雪国の人々は、何がなくても一年の副食は味噌とくもじ・・・(大根や蕪の葉の漬物)さえあればと一言った。野菜は土むろや雪室で保存した。

 自然食から山菜が脚光を浴び山菜摘みが山村へ押しかけ、山菜摘みのルールもわきまえず無責任に山を荒らしてゆく。どの山にも持主があることにも気付かない。村人は山菜保護のために人山料をとったり、入山を監視するところも出てきた。

 人間の嗜好は子供の頃の食生活で決まっているらしい。おふくろの味が忘れられないのもその影響であろう。私の子供の頃は山国には肥満体の人は殆どいなかった。

 テレビ番組では大喰いや早喰い競争など、大喰いでひっぱりだこのタレントも出てきた。人気スターに交って料理など作ったことが無い若いアイドルを番組に参加させた料理番組。調理の準備から完成まで、出来上がった料理とは言えない代物しろものとタレントを大写しにする。親の顔を見たい意地悪番組.或いは老舗の一流料亭を貸切り著名人を招待して街の芸伎総上げの大宴会。膳には五味八珍が並び、呑み唄い踊り芸伎総逆立ちで宴はおひらき。いまの世の大尽遊びがテレビという「魔法の箱」から茶の間へ飛び込んでくる。ア然と見とれ、終ったあとひとごとながらむなしさを味わう。

 別の番組では子沢山の若夫婦が最小限に切りつめた暮らしの中から育ち盛りの子供らの食事に愛情を注ぎ一心不乱に働いている姿に感動する。番組の中には「ああ私もおいしいものを作って家族を喜ばせたい」と心にひびくのもある。

 このごろ「末法の世」という言葉を聞く。怒り悲しみなげき、それでも容易に胸のおさまらない痛ましい事件が続く。富士の霊峰の前に佇つと、それらの心のしこりは消えてゆく。つくづく思う。魔法の箱のスイッチは自分なのだ。見たいのだけ選択すれば良い。パチッ、パチッと気分よく「切る自由」を満喫している。

(川崎市 郷土史研究家)

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随筆通信 月 2005年6月号/通巻30号


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