「迎え火」  蒲 幾美  (随筆通信 月31より)
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迎え火
蒲 幾美

 朝の涼しいうちに王禅寺の谷戸を膝の老化をふせぐ運動の「あるき」を日課にしている。

 花の終った菖蒲田の上の畑で、元気のいいおばあさんがせっせと里芋の葉を摘んでいた。立ち止って芋の葉を何にするのかと間うと「すぐお盆だから芋の葉に供物を盛る」のだという。「谷戸のあちこちに一族の仏さんがござるで仰山盆用意をしますのじゃ」と。

 私の住んでいる川崎市麻生区は古くはこの地から防人さきもりとして旅立った服部はとりべ(織物職)が万葉集十四の東歌に苧麻からむし(麻)が多生していたという歌をのこしており、「武蔵風土記」には苧麻を栽培して朝廷へ献上したとある。

 麻生郷界隈には王禅寺を中心に多くの寺や神社、稲荷、不動院、月読神祉など、またさまざまの名の塚や古墳の伝承があり、遠い昔の幻のロマンが漂っている。私は浄土真宗派なので孟蘭盆の手間をかけた盆用意もなく、真言宗王禅寺の檀家の村人たちが先祖から守り継いでいる年中行事の迎え火などには特に心を魅かれる。

 以前市の文化財ポランティアに参加したことがあった。飛騨や越中から生田緑地に移築した合掌造りで未整理の農作業の衣類の洗濯や整理、生活用具の種別台帳作り、また道祖神や石仏群、、碑などを探し、拓本もとった。そのとき石仏群や碑などに志村氏の姓が多いのに気付いた。芋の葉を摘んでいたおばあさんもその末裔であろう。村の径沿いや寺領に点在するご先祖の盆の供養をすることがおばあさんの元気で生きて来た証と心からの感謝の行事なのである。

 戦争未亡人の多かった谷戸の孟蘭盆を私はひとしお思いを深く歩く。まだ朝露が残る山あいにおがら(麻の皮をはいだ茎)の迎え火の薄煙が立つ。私の近づく頃は燃えあとのぬくもりのかたわらにおがらの脚の瓜の馬と茄子の牛が残っていた。世代はかわり、コンビニで金銀の蓮の花を主にした迎え火のセットがたやすく手に入るようになった。

 数年前三軒並んでいた一軒の農家の前に、いま焚いたばかりの丸めた新聞紙が燃え尽きようとしていた。精霊の乗り物の瓜の馬も茄子の牛も影形もない。呆然と新聞が灰になってゆくのを見つめ、ふと目をそらすと家の中へ急ぎ入る女性の後姿があった。

 隣り家の迎え火がすんだあと、自分の家でも迎え火の跡を残さねばという思いから迎え火のまねごとをしたのだろうか。

 先日その女性の家の前で久しぶりに出会った。少し様子が違うのでお元気? と声をかけると「えーっと、あんただれだったかネー」と返ってきた。数年前未亡人の姑を亡くし、まだ六十代の若さで認知症がかなり進んでいた。時代とともに宗教の形としてのしきたりも変るだろうけれど、一人一人の心に先祖を思う心と愛は保ってゆかねばと思う。

(川崎市 郷土史研究家)

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随筆通信 月 2005年7月号/通巻31号


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