こいしかわだより
雲
池部淳子
東京の猛暑もついに鎮まって、二十四時間冷房からやっと解放されました。涼しくなるのを今か今かと待ち焦がれていたので、望みを叶えられた時に感じる幸福感にも似た安らかさで、落ち着いた気持ちになります。冷房、暖房の設備に頼らず生活できる自然の気温が、心身ともにふさわしいことを久しぶりに実感しました。
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」と、昔和歌にも詠まれたように、秋の到来はそれとなく風の音のかすかな変化や大気の肌触りの変化に表れ、人々は敏感にそれを感じ取りました。
しかし、現代の東京は四季の変わり目がはっきりしなくなりました。冬は身を切るような寒さの日は少なく、三月のうちに桜の花が咲き出すようになり、その代わりに、夏は猛暑の日が多くなって、しかも早くから暑くなっていつまでも暑い、長い夏になったように感じます。地球温暖化はもはや統計上のことではなく、東京の現実になっています。かつて夏の最高気温は三十度というところでしたが、いまや東京の夏の最高気温は三十五、六度。遠からず四十度になろうかと思われる近年です。
それでも東京で「季節は秋なのだ」としみじみ私に感させるものがありました。それは雲です。
東京で九月の日々に目にする天文的な自然といえば、空、太陽、月、星、雨、風、そして雲くらいです。しかも雲を見るのはせいぜい最寄りの駅から住まいまでを歩く七、八分の道すがらです。ぼんやりしたり、考え事をしたりしていると、雲どころか何も見ないまま帰ってきてしまいます。
ところが、今日もまた三十四、五度という九月十日過ぎ、汗を拭き拭き白山通りの広い道幅の信号が青に変るのを待ちながらふと空を見上げると、何と空は秋になっていました。雲が空のずっと上の方にまばらに細長く軽やかに、なびくように浮かんでいます。空の下の方に分厚く固まっていた重たそうな雲が、スタイルの良い軽やかな長身に変貌していたのです。
「もう秋だ」と思いました。良く見れば東京でも、季節の変化を示す白然界の現象があるのです。忙しく働き、スピードを競い、売り上げを競争する東京の社会では、自然は建物や道路と同じように環境の一部にすぎない感覚になります。自然の変化に注目しません。まして都心の空は狭い。
自然によって感性が磨かれるということをすっかり失ってしまいました。
(『月』発行人)
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