「歳月」  蒲 幾美  (随筆通信 月37より)
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歳月
蒲 幾美

 歳月は驚くばかりの速さで半年や一年はまたたくまに過ぎてゆく。随筆通信「月」が出てからこの一月でもう四年目に入った。

 家に籠りがちの年齢になると、マスコミの情報だけでなく、今の世相にじかにふれられる美容院が楽しい。たまたま映画の話になり「この頃映画館は行きましたか」と問われた。さあ、と来し方を振り返り「父と子の愛のテーマで木下恵介監督の映画を三十年前に」と言ったとたん、若い美容師は「ひえーっ!」と大声で二度叫んで尻餅をついた。その驚きように、こちらがたまげた。彼女は月二、三回映画館へ行くらしい。

 昔の田舎町にも活動写真や芝居のできる「旭座」という館があった。地方巡業の旅芝居興行があると、座長や役者らが乗った人力車の一団が役者名の旗をなびかせ、鳴り物入りで客寄せに町を回った。映画と芝居をつなぐ「連鎖劇」というのもあって、汽車でゆく駅の別れなどは映画で、続く場面はパッと芝居のセットに変わる。高山線がなかった当時のこと。

 私は町はずれで、ささやかな旅館と農業を営む学はないが分別のある祖父母と父母のもとで育った。わがままや賛沢は許されなかったが、学校で許可された映画や、娘時代はモノクロの活弁(声優)映画を妹と出かけて楽しんだ。

 だが、町の古い米屋の嫁になったとたん,生涯は一変した。嫁入り道具は毎日の必需品の着替えとエプロン(割烹前掛)と下駄程度以外一切土蔵に収納された。町の中心の商店街で豆腐屋、魚屋、八百屋などの商家の嫁たちはエプロンだけは普段着と余所行きの二通り持っていた。月末の収金に羽織を着て出かけようとしたら義母から「商家の嫁は特別の時以外は羽織は着ない」とさとされた。天領時代からの士農工商の気風がまだ続いていたのだろう。

 ある日新嫁の披露のためなのか一度だけ義母について芝居を見に行った。若夫婦を活動写真を観に出しているという世間体からか旭座行きとなり、夫から「先に行って待て」と別々の行動。木戸番が「いらっしエイイ」と、いの何番、はの何番と筆太で記した木の下足札をカチャッと台の上で嶋らして渡す。館の枡席も目立たぬように別々の席。映画は何を見たのか全く記憶になく、以後映画館は遠のいた。

 戦後事業の最中、金融に奔走していた頃、隣町の映画館の前で知人に出合い「観ませんか」と「欲望という名の電車」の入場券を渡された。重い用を抱えての映画鑑賞は落着かなくて途中失礼をわびて外へ出た。

 映画館との縁は薄かったが、日々多忙の中で自分のやりたい事の一つ一つに歳月を忘れて真剣に取り組んできた。苦労が多ければ多いほど、少ない喜びの感度は強い。

 人の一生には限りがあるが、さまざまを体験し、ジグザグに歩いた分だけ人生長生きしているのだと思う。

(川崎市 郷土史研究家)

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随筆通信 月 2006年1月号/通巻37号


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