こいしかわだより
美しいコート
池部淳子
私のフランス語の先生が初めてオーバーを着てきました。フランス人の彼は二十歳台半ばで身長は一メートル九十センチ近い痩せ型の長身です。温和な印象の青年にそのオーバーが似合ったとも言えます。でも、私が驚いたのはそのオーバーでした。
彼がレッスンを終えて帰り支度を済ませ、オーバーを着た時、その色とオーバーのラインのすばらしさに驚きました。
生地はこげ茶色と臙脂色が混じった落着いた色合いで、身につけた時、オーバーが見せるラインのなんと見事なことか。
彼は安物を着ているようではありません。でも、特別に高価なものを着ているようでもありません。パリではこのようなオーバーが普通に手に入るのでしょうか。もしそうだとしたなら、それは大変なことだと思いました。
なぜならそのオーバーはそれ自体人間のよろしきラインをすでに持っているのです。つまり技術者が人間はこういうものを着るべきだと考えて作っているのではないでしょうか。
ゆるくもなくきつくもなく、無駄もなく不足もなく、姿勢正しく歩けるような、自然に人間の尊厳が表れるような正確で美しいオーバーのラインでした。
フランスとかイタリアとかファッションセンスのよい国に行ったことはありません。.だから一般の人々が実際にどのような衣服を身につけているのかわかりません。でも、衣服についての考えが確立されている国はあるかもしれません。
日本にはいま、あらゆる衣類があります。無数にあります。冠婚葬祭のような特別な場合を除けば何を着ても自由です。ファッションもさまざま。Tシャツ姿でテレビ会見をする若い経営者が現れて視聴者を驚かせることもあります。
日本には四季があります。春夏秋冬に従って衣類を変えなくてはなりません。それに年齢により、立場により、目的により、着るものがさまざま。加えて日本には和装と洋装の二様式が現存しています。いきおい衣類が増えます。
このような日本で、買ってみたが着難いとか、着ているうちに難点が出てくるなどで着用しないものが積もっていくと大変です。できるならば無駄を少なくしたい。人間が人間らしく暮らせる、人間が人間らしく見える衣服を製造してほしいと常々感じていました。
庶民のためには着易いのが一番、値段が安いのが一番と、大量生産して購買意欲を誘おうというのでしょうか。それよりも強度や美や品位や人間の尊厳を考えて製造されるならば、日本人全体が質の良いものを揃えることができ、美しくもなるでしよう。
フランス語の先生のオーバーから日本とは違った衣服への考え方を教えられました。
《完》
『こいしかわだより』は今回で終了いたします。長い間お読み下さいましてありがとうございました。
(『月』発行人)
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