「彼岸」  蒲 幾美  (随筆通信 月39より)
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彼岸
蒲 幾美

 草木が芽を萌やす春。彼岸には先祖のお墓参りをするしきたりだが、私は子供の頃から彼岸会にはお詣りしたが墓参の記憶がない。雪国生まれの同郷の人に聞いても同じである。

 それは雪に埋もれた墓所や持ち山の墓地など自浄土に眠る仏を人間の汚れた足跡で踏み乱さぬように、寺詣りや家の仏壇に華束けそくや牡丹餅を供えて供養したのであろう。

 雪のない土地に移り住むようになって彼岸頃だったか、中村俊定先生(俳文学者)の晩年「染升墓地に私の俳諧の師天つ雁翁の墓があるのだが、もうお参りできなくなって」と嘆かれ「私たち染井達句会で先生のお心をお伝えしてみんなでお参りします」と、早速都の染升霊園へ出かけた。墓を探し、「いま天つ雁先生のお墓にお参りして来ました」と電話で報告すると「ありがとう、ありがとう」と声をつまらせた先生の泪声に私までも胸があつくなったのだった。

 先生のご夫人から「会いたがっているのでぜひ来て下さい」と連絡があり、慌てて先生宅へ飛んだ。先生は白地に黒の棒縞の単衣に白足袋でソファーで休んでおられた。いろいろ雑談の中で「いつも来てくれる按摩あんまがビルを建てたら廃業してね」と先生の言葉に「先生少しさすりましょうか…」がっちりした体格だった先生が肩から背にかけて痛々しいまでに痩せられ「蒲さんに按摩をしてもらおうとは…」と。ほんの気休めのマッサージだったが。話題が連旬に移ったとき「先生、俳句と連句を一冊に纏めたいのですがいいでしょうか」と問うと「是非やりなさい。私が喜んで序文を書きますよ」と、先生のお許しを得、名残惜しく先生宅を辞して家に着くとすぐに、部屋一杯に書き留めたものを拡げ整理を始めた。

 翌朝またその続きに籠っていると「先生が昨夜亡くなられた」との訃報に私はただ呆然としたまま立ち上がれなかった。

 二、三ヶ月前に先生から「毎月の連旬会の皆勤賞をあげよう」と短冊を頂いていた。

       さい果ての旅の心や雲の峰     菜翁

 一九八四年九月十九日、僧籍の先生は仏界へ入られた。私は生前に辞世の旬を頂いたのである。

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 郷里のケアセンターに居る友人と電話の中で彼岸に家へ帰るのと聞くと「帰らない、彼岸も盆も我が家は墓参りはしなくてもいいの」と言う。「じい様(舅)が、わし死んだら極楽へ行くのだから墓参りはせんでええ」と、町一番の仏教信者といわれた老人の口癖だったという。その息子の薬剤師だった彼女の夫も「俺は宇宙に行くのだから墓参無用」と。「うちの仏さん宇宙や極楽にござるで地上の墓参りはせんでええのやサァ」と明るい方言になっていた。では宇宙船でお参り行かなきゃ…「それが宇宙のどのへんか極楽の場所も聞き忘れて」と返ってきた。成程成程、人それぞれ。人間の生と死についてまだまだ学ぶことが多い。

(川崎市 郷土史研究家)

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随筆通信 月 2006年3月号/通巻39号

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