「月の光」  蒲 幾美  (随筆通信 月46より)
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月の光
蒲 幾美

 「月」に対する呼び名は歳時記の秋の部だけでも百を越え、中国の故事や伝説など四季折々の月の思い出は仰ぐ人によって違うだろう。

 月を拝むのは子供の頃の自然のしぐさだったし、金星と三日月が接近すると老人たちは近星ちかほしといって火難を恐れ火の用心に注意した。

 商家に嫁ぐと上弦下弦の月を見て米相場が上がるの下がるのという言葉が気になった。

 万物を平等に清々しい光を放つ月光は人の心を清浄なものにしていく。過ぎし日の愛しさや喜びそして哀愁までもよみがえる。

 飛騨工ひだのたくみ伝説に止利仏師とりぶっし物語がある。天生あもう余り部あまりべ)の里に男より力持ちの心優しい縁遠い娘がいた。或る月夜の晩娘はひとり湲の小鳥おどり川へ下りていくと岩間から澄んだ水が湧いており両手に受けると満月が写った。その満月を一滴も残さず飲み干し、姙って生まれたのが飛騨工の止利仏師という。天生の地名は余り部の里で天授の子が生まれたことから天生となり、月が写らなくなった瀬には“月が瀬”という地名が伝承されている。

 時代は代わり、この天生の旧家のK子は町の女学校で私と同級生だった。彼女には親同士が決めた婚約者がブラジルにいて卒業後結婚を疑わなかったが、彼は何年待っても天生へ戻らなかった。K子はその後村の妻子ある人の子を宿しいて病院で死去したと人づてに聞いた。

 月を仰ぐ思い出の中に月が瀬の伝説とK子の短かった生涯が重なるのである。

 母子健康のためのボランティア活動をしていた頃、グループ六、七人で山の湯へ出かけた。山間から思わぬ月が出て月見の宴になり酔いが回ったころ楽しいことをと考えた。「今月今夜こんげつこんやこの山の月の光の中で、昔の初恋を語ろう!」わあっと喚声が挙がった。いつのまにか古い思い出が自然に語れるのも月の光がなせることであろう。

 看護婦時代胸をときめかせたのは既婚の医師だったり、教員をしていた頃お互いに心は通じ合っていたが転勤で疎遠になり数年後結婚した。祝いに来た夫の友人は初恋の教師だった。その時「ああ過去に何もなくてよかった」と思ったという。

 年配で現役の助産婦の初恋は海軍の将校で思いがかない結婚したが幸せはわずかで応召、戦死した。「ほんとうに好きだったからどこへ行くのも一緒よ」写真を持ち歩いているのかと思ったら、大きながま口を出した。「この中にいるの」一同あ然として声を呑んだ。彼の骨が入っているのだと。楽しかった宴の空気が一転して、話題をかえ賑やかにするのにあせった遠い日のこと。

 テレビでは幼稚園児にマイクを向けている。好きな児はいるの?「いる」「愛してる」「結婚するの」と、数人で騒ぎながら一人がホッペにチュッをすると手を繋いで駆け出した。

 こころ静かに仰ぐ月の光は永劫に美しくかがやいている。

(川崎市 郷土史研究家)

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随筆通信 月 2006年10月号/通巻46号

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