「音楽」  池部淳子  (随筆通信 月47より)
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いわきファイルH
音楽
池部淳子

 いわきも紅葉が始まった。山頂から山裾へと次第に紅葉が下ってくる。「そろそろ○○○がきれいなころよ」と言って教えてくれる人もいる。今後四季折々、見所を教えて貰いながら尋ねてみたいと、未来に向かって楽しみがある。

 楽しみといえば、最近音楽を聞く楽しみができた。と言っても特別なことをするわけではない。CDを聞いたり、カセットテープを聞いたり、ラジオの音楽番組を聞いたりするだけである。

 私が帰郷前の9年間、この家は空き家だった。仕事も生活も東京だったため、十分な管理ができず、かつてのある日、隣家の方から「テレビのアンテナが倒れていますよ」という電話をもらい、急遽倒れたアンテナを撤去した。

 帰郷した私はこの際しばらくテレビなしの生活を実験してみようと思い立ち、まだテレビのアンテナを設置していない。テレビは嫌いではないのでついつい時間を取られてしまう。自制が利かず、長く見てしまったりする。映らなければしかたがないということにした。

 その代り時間をかけて新聞を読むことにして、音の無いのが寂しい時はラジオのスイッチを入れる。そんなある日、ラジオからルチアーノ・パヴァロッティが歌う「星は光りぬ」が流れてきた。その声に聞き惚れながら「そうだ、パヴァロッティの歌をいっぱい聞きたかったんだ。テレビの主題歌で聞いた山下達郎の『忘れないで』という歌も探してみたかったんだ。杉山さんが『月』に書いていたモーツァルトの『K333』も聞きたかったのだ」と、今まで仕事の忙しさの中に取り残してきた音楽のことが猛然と湧き起ってきた。

 それ以来、かつてオペラに行ったり、演奏会に行ったりした東京生活ほどではないが、音楽が生活に中に甦ってきた。聞くことに自分を預けて、しばし煩悩を忘れる。音楽が私を癒してくれることに再び気づいた。

 これはテレビを見ないことの効用だと思う。もしアンテナを上げてテレビを見ていたならテレビで充足してしまって、別に自分を癒す時間など持たなくなってしまう。

 世界のニュースに疎くなるのではないか、災害などの緊急時に不便ではないかなど、不安がないでもないが、まだテレビ不在実験は続けていたい。

 聞きたい音楽がたくさん待っている。新聞にも時間をかけたい。美しい所を見にも行きたい。ゆっくり物も考えたい。そのうえに、いわきの新鮮でおいしい山海の物も食べたいなどとなると、自然にテレビを見ている暇がなくなってくる。

 いましばらくはそれで良しということにしよう。

(『月』発行人)

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随筆通信 月 2006年11月号/通巻47号

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