「おふだ」  蒲 幾美  (随筆通信 月48より)
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ふだ
蒲 幾美

 またしてもむかし話で恐縮だが、小学校の隣は天満神宮てんじんさまだったし校庭には奉安殿ほうあんこがあった(天皇のご真影を安置した欧風の建物で、当時天皇は神に近い存在だった)。

 遠足の季節になると祖母は、街遣を隔てた真向いの氏神で休む子供らに、冷たい水をサービスするのを楽しんで土蔵に眠っている真鍮しんちゅうの大バケツの出番を待っていた。

 遠足の列が神社の杜に入りだすと、早速大バケツヘポンプで水を汲み、杓子と湯呑みを添えて社の縁まで運んだ遠い日を思い出す。年の暮れになると神棚や仏壇の塵を払い仏具を磨かねばと思うのは祖母の身近で育ったせいであろう。十二月には伊勢神宮からご神体の<お札>が配布された。神宮大麻と言い県庁から市町村役場を通じ各戸へ配られたのである。

 昭和になると次第に軍国日本の気風が高まり大陸から南方へ戦火は広がるが、不敗信仰の神風かみかぜは吹かず大神宮は地方へ疎開。「飛騨一之宮へ熱田神宮あつたさまが疎開してござったげな、、」と噂が流れる頃は、都会に住む親戚縁者からの疎開の荷で土蔵は満杯。空襲警報のサイレンが鳴り町内ではバケツで消化訓練をしていた。

 戦争は多くの人間の命を奪い、物資の欠乏は配給制度に。食糧難は生きてゆくための命の原点である「食」を得ることに日本中の人々の苦闘が続いたのである。

 原爆投下、終戦はすべての面で日本は変動期に入り、教師引率の遠足は神社を避けていた。

 都会暮らしは近年無神論者が多いというが、大企業や会社の起工式などには施主が神職を招きお払いをするし、家の新築でも同様に行われている。

 ある時仏式の通夜の神棚に煌々と灯明が上っていて驚いた。しかし神仏混淆もあるのだから一つの宗派の作法や概念にとらわれなくてもいいのだと思う。信仰や宗教を持たない人でも緊急事態や心配事に神仏にすがるのは古代も現代も変わらないだろう。祈るのは氏神でもない。マホメットでもキリストでも釈迦でもない、自分の心にある救いの万能の神仏なのだ。ただ一人ひとりの心や人間性は天性的とも、友人や連れ合いで変わるともいう。

 若い層の人達に<お札>を受けているか聞いてみると、初詣で家内安全、交通安全などセットになっているのを購入。あるいは不動明王おふどうさまや旅行の先々でのお札やお守りも一緒にして一家の守護神にしているなどさまざまである。

 インターネットの理化学時代のいま、それだけでわりきれぬ事も多い。宗教、民族、経済の歴史の動きの中で世界のあちこちで紛争が続いている。

 信仰や宗教は、他の動物にはない人間だけが持つことのできる、命、愛、しあわせを願うこころではないだろうか。

(川崎市 郷土史研究家)

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随筆通信 月 2006年12月号/通巻48号

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