時間
蒲 幾美
新しい年明けにはいつも一茶と龍之介の句が浮かぶのだがそれは向こうに押しやって、明るく希望のもてる年でありますようにと願う。
それにつけてもつい先年の事のように思っていたことが五年十年と経っていることに改めて時の流れの速さを痛感している。
郷里にいた頃、働き者で知られていた魚屋のおかみさんは「これは杉屋、松屋、谷屋へも届けた上物で」と、“旦那衆”御用達"の自慢をしていた。やり手の姑の店には嫁は来ないだろうと噂されていたが、隣町の商家からてきぱき働く嫁さんが来た。時代は代わり大企業のスーパーやコンビニが郊外に進出。メイン通りの商店街もさびれ、孫の代になっていた魚屋も店を閉じた。店がなくなった婆さんは寝たきりの認知症になり、家族の介護を受けながら「わしは九十まで働きますでなア」と見舞いの人に言っていたという。働くことが人生の悦びだったのだろう。
昔の若者は家族と囲炉裏や食卓を囲んで育ち日々の暮らしから自然に自分の将来の目的が芽生えていた。働くことは当たり前で、遊びや若さの発散、食生活の栄養補給など地域の中で神事や仏事の年中行事に織り込まれていた。氏神の祭には神輿や櫓を担ぎ、町内同士の日頃の体力を競い合う。勧善懲悪の精神は近隣との助け合いの心が通い、いじめなどということは無かった。しかし夜祭には町民に厳しかった悪徳高利貸しや邏卒が町を流れている大川に放り込まれた事件が語り継がれている。
先のことなど考えない。今を楽しく面白く過ごさなきゃ損とばかり、騒音や奇声を発してゆく暴走族。また新しい○○○族など、街頭でマイクを向けられると注目を浴びたことに満面の笑顔で「○○○族」と答える一つまみの異常者もいるが、日本中の若者や中年層はそれぞれの環境の中で学び働き真剣に日々を生きている。また定年まで家族のために勤め第二の人生に向かう人たちに“団塊の世代”という五文字での表現は何ともやりきれない思いである。
人との約束の時間は必ず守らねばと思う。時間に無神経だったり、約束したことも社交辞令くらいに感じている人は、人生の大切な出会いの時間を自ら無くしてゆくだろう。
年を重ねると物忘れや勘違いの行動が多くなる。谷戸を散歩するにも「どの径を何処まで何時何分発、ケイタイ持参」とメモを置いて出かけた。しばらく歩いて一時間間違えて書いたことに気づき家へ戻ると「あまりにも遅いので心配していた」という。
八十九十はずっと先のことと、他人ごとのように思っていても時間は容赦なく進んでいる。
(川崎市 郷土史研究家)
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