「庭の山葵」  池部淳子  (随筆通信 月52より)
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庭の山葵
池部淳子

 わが家の狭い庭の中央付近につくばいがある。筧の水を受けるように設置されたものである。といえば、立派な庭を想像される方もおいでかもしれないが、筧は使わないので水は通わず、つくばいもただ置いてあるだけ。苔むしている。溜り水をときおり鳥が飲んでゆく。狭いなりゆき庭というものである。

 ところが、このつくばいの傍らに何と山葵が育っている。10年ほどまえに「山葵は沢のようなきれいな水辺に生えるんですよ」と言うのを聞きながら、近所の方からいただいたが、水の側ならここしかないと、山葵は可哀想だが長持ちはしないだろうと内心思いつつ、つくばいの側に植えた。

 その後この家は空家になって、ほぼ10年。

 昨年2月に帰ってみると、4月近く山葵がつくばいに寄り沿うように葉を伸ばし、花を咲かせ、思いがけず健在ぶりを発揮した。

 あまり予想に反していたので、私は白い可憐な花に感動して、葉は漬物にしようかとまで考えた。

 漬物にするというのには訳があった。私が10代の頃、叔母のひとりが山奥の分教場に夫婦で赴任していた。叔母夫婦は教員住宅と称した分校と隣合わせの小さな二戸建てに住んで、山の子供たちを教えていた。

 山奥の四季は魅力があった。新緑、山菜、山川での泳ぎ、避暑、そして紅葉。私は山奥へ折々遊びに行った。

 その訪問のあるとき、叔母が葉山葵の漬物をご馳走してくれた。しゃきしゃきとした歯応えにピリッとした辛さ、野山の香りがする。白い花も混じっていた。山葵は根を擦って使うとばかり思っていた私には新鮮な驚きだった。その香りの印象は今でも甦る。

 その記憶から、庭の山葵の葉を叔母に聞いて漬物にしようかと一瞬考えた。だが、結局食べるより、見る方を選んだ。その山葵が今年もつくばいの側に育ち始めた。

 かつて叔母がご馳走してくれた山葵は天然もの、つまり、自然の、沢のような流れの清らかな水辺に育ったもので、蕾から花になろうとする頃に摘んで漬けるという。自然に育った山葵は一際辛く美味しい。

 でも、今は自然のものはほとんど無いという。開発によって水が濁る。また、自家用車の普及によって山菜採りに来る人が増え、根こそぎ採っていってしまうからだという。葉だけ採って根は残していってくれればいいのに・・・・と、地元の人たちが残念がっていると聞いた。

 蝶なべて双蝶の白山葵沢  節子

 清らかな水、瑞々しい緑の葉、爽やかな白い花、この句のような清冽な場に出会えるなら、山奥へ訪ねてみたいと思っていたのだが。

(『月』発行人)

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随筆通信 月 2007年 4月号/通巻52号

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