「鰹」  池部淳子  (随筆通信 月54より)
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池部淳子

 山口素堂の句「目には青葉山ほととぎす初かつを」の季節である。見えるかぎり、鮮やかで力強い若葉のみどり。晴れた日は太陽に映えてひときわ美しい。樹木の生命力がありありと見える時である。

 この時期、いわきでおいしいのが鰹である。4月にははやくも九州で捕れた鰹がスーパーマーケットに御目見えする。やがて銚子沖で捕れた鰹がならび、段々と近づき、味も鰹らしく、新鮮さを増してくる。

 そして5月、「いわき七浜」といわれるこのいわきの港に鰹があがる。これこそ時節到来である。輝いている新鮮な鰹を食べることができる。

 私が育った昭和30年頃には、この近港にあがった鰹をおじさんが自転車に載せたり、おばさんがリヤカーで運んだりしながら売りにきた。母は一本買って半身は刺身、半身は焼いたり、焼き浸しにしたりした。母が使った出刃庖丁と刺身庖丁が今も残っている。この時代のいわきはどの家もこうした食べ方だった。

 やがて上京して東京で暮らし始めた私はこのおいしい鰹を食べられなくなった。東京の少ない樹木が新緑になる頃、決まっていわきの鰹を思い出した。

 東京のスーパーマーケットにも極々わずかな時期、鰹が並ぶことがある。しかし、それを見て、鰹大好きな私でさえも買う気になれなかった。いわきのピカピカ鰹が思い出されて、これは駄目だと諦めた。

     初鰹食べに帰ると子の便り 時子      息子来る夕餉の膳に初鰹  文子

 夏、離れて暮らす子供が帰ってくるとき、母親は子供が好きな鰹を用意して待つ。私の母もそうであった。大きな皿にぞっくりと鰹の刺身が並んだ。鰹がおいしいいわきなればこその家族のありようである。

 この鰹の刺身は生姜醤油、または磨り下ろしたにんにくを加えた、にんにく醤油をつけて食べる。私はにんにく醤油党。母だけが生姜醤油だった。同席している者全員がにんにく醤油で食べていると部屋中にんにくが匂ってもお互いさまで気にならない。ところが、にんにく醤油で食べていない人にはこの匂いはたまらない。

 子供たちが元気よくおいしく鰹を食べるのだからと、母は家中匂うにんにくの匂いをどんなにか我慢していたのだろう。その時はどんなに迷惑なことをしているか、ぜんぜん気付かないで、後でそのことを知り、自分の鈍感さに落ち込んでしまうことが多々ある。愚かなものである。

 鰹は初夏を知らせる魚、いわきを知らせる魚、そして母を思い出させる魚である。

(『月』発行人)

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随筆通信 月 2007年 6月号/通巻54号

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