「じゃんがら念仏踊り」  池部淳子  (随筆通信 月57より)
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じゃんがら念仏踊り
池部淳子

 いわき地方では「お盆が過ぎれば暑さもいくらか治まる」と言われてきた。温暖化の今年はどうか…。

 旧盆の時期、いわき地方には「じゃんがら念仏踊り」という踊りがある。その年の新盆の家々を回り、仏の供養とその家族を慰めるため、鉦と太鼓を叩きながら踊る「地域伝統の舞踊」である。

 東京に住んでいた私はこれまで「じゃんがら念仏踊り」を見たことがなかった。詳しい知識もなかった。だが、去年の旧盆に偶然垣間見ることができた。尋ねていた家の隣が新盆で「じゃんがら念仏踊り」の一組がやってきたのだ。何気なく窓辺に立つと、隣家の庭が斜め下に見えた。

 その庭先に紺の浴衣姿の青年が七、八人。袖を肩まで絞った長く白いたすき襷。その襷を背から腰下までたっぷり垂らした姿。鉦を鳴らす青年、膝の太鼓を叩く青年、どちらもリズムに合わせて足踏みしたり、前屈みにお辞儀をしたりして踊る。ああ、これが「じゃんがら念仏踊り」か、と思った途端、終り。あら残念と、心が残った。そのあと、お盆過ぎの地方紙に「じゃんがら念仏踊り大会がありました」と過去形で記事が載った。私は来年は見たいと思った。

 そして今年、8月15日夜、見物にでかけた。車で30分。やぐら櫓は小学校の校庭。到着したときは一般の盆踊りの最中。櫓の上には笛と、威勢良くたたく太鼓、喉自慢のおじさまが唄う上手あり、下手ありの踊り唄。昔を偲ばせる盆踊り風景だった。だが、昔のように踊りの輪は密ではなかった。

 いよいよ「じゃんがら念仏踊り」。櫓の下には七組。一組は10人余。衣装の浴衣は白地に波模様とか、紺地に白文字とか、チーム毎にそれぞれで、各々なかなかの意匠。鉦は手に提げたり、背にくくり付けたり。太鼓は膝。鉦と太鼓と人数は半々位。

 ○○会長が、ゴーサインを出す。マイクで「これより戦没者慰霊の『じゃんがら念仏踊り』を行ないます」と言ったような。

 ああ、口上が観衆によく聞こえないのが残念。

 続いて経文らしきものを二節ほど唱えたあと、声は小さいが「南無阿弥陀仏」。

 同時にチチンどんどんと一斉に演舞開始となった。

 演奏、演舞は30分余。猛暑の夜に七組が踊った。

 私は昨年見たあと考えていた。「じゃんがら念仏踊り」は全国的に有名にできるものかもしれない。あの衣装、あの演奏、あの踊り、たくさんの組が集まって300人400人となれば素晴らしい観光芸能になるのではないか…と。

 だが、帰り道、観光化の望みは想像ほどふくらまなかった。

 その夜見た「じゃんがら念仏踊り」は一生懸命であることも、技を磨いていることも、誇りに思っていることも解った。

 だが観衆は楽しんだだろうか。感動しただろうか。

 大勢の観衆に「見に来て良かった、素晴らしかった」と感じてもらうためには、心意気とともに、緻密な企画力や夢のあるビジョンが必要なのかもしれない。

 「どうぞいわきのじゃんがら念仏踊りを見に来てください」と、全国に堂々とよびかけることができるようになるのは、かなわぬ夢なのだろうか

(『月』発行人)

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随筆通信 月 2007年 9月号/通巻57号

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