四つの最寄り駅 杉山康成 (随筆通信 月63より)
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四つの最寄り駅
杉山康成

 「うちって最寄り駅が4つもあるなんて、スゴクない?」。先日、長女がそう言うのを聞いて可笑しくなった。2年程前に、娘たちの通学に支障がないという条件で、以前のマンションから10分程度離れたこの場所に引っ越してきたのだが、それまでの最寄り駅だったJR小岩駅に加え、JR新小岩と京成の青砥、立石が利用可能になったのだ。もっとも、以前、徒歩8分だった小岩駅は徒歩20分の彼方に遠ざかり、他の駅もそれより遠い。何のことはない、どの駅からも遠い場所に来てしまったのである。駅に近いことを最大の売り物にする昨今のマンション事情からすれば、まさに時代に逆行している。毎日の通勤もあり、この距離が生活にどれほど影響するのか、当初は少なからず不安だった。

 しかし、住まいの魅力は何も駅に近いことだけではない。この辺りは小岩の西のはずれに当たり、西側にはもはや視界をさえぎる物はない。我が家のある11階から見下ろすと、ところどころに畑が残る住宅地を中川が縫うように蛇行している。そして、荒川の土手の上を走る首都高の向こうには、北から南まで東京の都心が一望の下に展開している。その胸のすくような眺望の魅力は、駅までの不便を補って余りあるものだった。北の方から池袋のサンシャイン、新宿のビル群と続き、新宿と渋谷の間には、丹沢連峰を前衛にした富士山が流麗な姿を見せている。さらにこのところ高層ビルの密集地帯となった東京駅周辺、東京タワー、六本木ミッドタウン...。ずっと行くと、お台場の観覧車まで見渡せる。

 都心を東側から眺めることになるのだが、街々は互いに重なり合っているため、当初はどこがどこだかわからなかった。しかし、地図とにらめっこをするうちに、次第に東京の鳥瞰図が浮かび上がってきた。その結果、浅草と秋葉原、渋谷が重なっており、ある日忽然と姿を消した六本木ヒルズは、錦糸町にできたオリナスに隠れてしまったことがわかった。東京の景色も刻々と変わっているのだ。

 駅から離れた効用は景色だけではない。人間の心理として、駅と反対側にはあまり出かけないようで、以前は家と小岩駅の間を行き来するだけだったが、今では逆方向に出かける機会も増えた。生活圏が4つの駅に向かって放射状に広がり、これまで知らなかった店や施設を利用するようになった。単に利便性の問題だけではない。いくつもの街の暮らしぶりに触れることで、自分の心の中の街も一回り大きくなったのである。

 越してきて最初の年の大晦日、新年が近づくと、以前は聞いたことがなかった除夜の鐘が、あちこちでゴーンゴーンと鳴り始めた。近くの八剱神社に出かけてみると、かがり火が焚かれ、ちょうちんが明々と照らす参道には初詣の人たちが長蛇の列を作っている。お参りをした人には神主さんが一人一人お払いをしてくれ、その後、甘酒やお神酒が振舞われるのだ。駅から少し離れただけで、地元のこうした伝統が大切に守られている。帰り道、なんだか子供の頃に帰ったような、うきうきとした気分になった。

最寄り駅が4つ。思わず出た娘の言葉には、新たな住みかへの愛着が溢れていた。

 (東京都 会社社長 理学博士)
E-mail:ebiman@kb3.so-net.ne.jp HP:http://ebiman.fc2web.com/

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随筆通信 月 2008年 3月号/通巻63号

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