エスカレーターの誘惑 杉山康成  (随筆通信 月65より)
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エスカレーターの誘惑
杉山康成

 毎日1時間ほどかけて通勤する東京の50代の男性の体力は、小学校高学年の児童より勝っているという。毎日、駅の階段を上り下りしているためらしい。サラリーマンの涙ぐましい姿が目に浮かぶ話だが、最近、JRなどの駅におけるエスカレーターの普及が目立つ。これで少しは「痛勤」が緩和されそうだが、せっかく鍛えられたオジサン達の体力はどうなってしまうのだろうか。

 エスカレーターは階段の上り下りの負担を軽減するためのものだが、最近ではバリアフリーの観点から設置される場合も増えた。しかし、単にそれだけの理由で多額の費用をかけてエスカレーターを設置しているわけではない。

 エスカレーターが設置されると大半の人は、かなり遠回りになってもエスカレーターを利用し、階段は途端に利用者が減る。何も言わずに動いていても、エスカレーターが人を引き寄せる力は絶大なものがある。エスカレーターを設置する側は、当然、そうした利用者の心理は計算済みで、人の流れをコントロールすることが彼らの目的なのである。

 それにしても、日頃から健康のためにジムに通っている人でも、平気でエスカレーターを利用するのには驚かされる。楽なものが目の前にあれば利用するのが当然であって、階段を上っていれば逆に物好きと見られかねない。それが社会的常識であって、メタボ解消に階段の利用を勧めてもあまり効果はなさそうである。

 そうした常識に異を唱えるのが、高齢者のことを考えて「天命反転住宅」を設計する世界的芸術家、荒川修作氏である。この住宅は今流行のバリアフリー住宅ではない。それどころか、この住宅はいたるところバリアだらけなのである。平坦な場所はほとんどなく、家の中の移動はほとんど斜面か段差の上り下りだ。シャワーを浴びるときも足を踏ん張っていなければならない。なにゆえこんな住宅を作ったのか。

人は歳とともに筋肉が衰え、運動が億劫になる。それがさらに筋肉の衰えに拍車をかけ、怪我や病気の原因となる。その結果、本来、寝たきりになるような歳でもない人が寝たきりになっているのが現状である。バリアフリーの発想は、逆に体力の衰えを促進し、結果的にバリアを高くしているのだ。荒川氏はこの住宅で、人間が本来持っていた感覚を呼び起こし、さらには新しい感覚を生み出す必要性を強調する。楽なことが快適な生活であると信じて疑わない現代人の発想の貧しさを強烈に皮肉っているのである。

エスカレーターが設置されれば、誰も階段を上らなくなり、体力が落ちる。マイナスであるのもかかわらず、それに逆らうことはできない。現代人は無節操に便利さを求めることで、知らぬ間に衰えているのである。これは単に個人の体力の問題だけではない。石油を使い、電気を使い、ひたすら便利さを追求してきたことで、地球環境は蝕まれ、全人類が自らの寿命を縮めているのである。

何の疑問もなく便利さを受け入れる精神構造が改められることはあるのだろうか。現代人の弱点を見透かすように、エスカレーターは今日も静かにあなたを誘っている。

(東京都 会社社長 理学博士)

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随筆通信 月 2008年 5月号/通巻65号

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