「白真弓」雑感L鉄舟・白真弓 蒲 幾美 (随筆通信 月66より)
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「白真弓」雑感L鉄舟・白真弓
蒲 幾美

 山岡鉄太郎 生は藤原 名は高歩鉄舟と号す 父は舊幕府飛騨郡代小野朝右衛門 大監察を勤め 朝廷に徴されて侍従に任じ累遷して宮内少輔と為る。

 九歳にして撃剣の道を志し 久須美閑適斉に真影流を学び後井上清虎の門に入り北進一刀流を学ぶ 猶一刀流正伝を極めんと欲し 浅井義明に隋学数十年 明治十三年三月三十日 元祖一刀斉の所謂無想剣の極處を得たり。自是無刀の一流を開く

 幼年書を飛騨国高山人岩佐一亭に従学し 弘法大師入木道五十二世の伝統を継ぎたり

 十三歳の頃より禅学を好みたり 此志を起す所以は 武家に生まれ 非常の時敵に向ひ 死を視る歸するが如きの不動心たらんには 丹を練るに在り 丹を練るには何を以って最第一とするかと

 父高福君に問ふ 父高福君は 伊藤一刀斉直弟小野次郎右衛門並に小太刀半七と云へる両士の門に入り 剣法に達せられる 又禅道の奥を極められたる人なり 東照公に仕へ数度の戦旗を帯して働かれたり 此吹毛不動と云へることは禅語なり 我も此句を深く信じ 禅道を心得たりと語られたり 爾来丹を練るは此道に如かじと思ひ 武州柴村長徳寺願翁 豆州澤地村星定 京都相国寺獨園 同嵯峨天龍寺滴水和尚に参じ 終に天龍寺滴水和尚の印加を得たり。

 「鉄舟居士の真面目」参考

 鉄舟は郡代小野高福の次男で異母きょうだいが五人、鉄舟の義弟小野幾三郎は江戸詰幕吏。鉄舟は十七歳で母に死別。つづいて郡代も

 嘉永五年閏二月二十七日 飛騨郡代小野朝右衛門高福暴に没す、而も喪を秘して六月五日に至り之を発し、同八日高山宗献寺に葬る、法諡徳院雄道賢達大居士、民間頻に陣立を行ひしこと隣国諸藩の疑惑を招き遂に幕府より察当を受けて切腹せる由風評したるとなり。(飛騨編年史要)

 

 世界はいま争いが続いている。地球の表も裏も、或いは地球と宇宙のたたかいかも知れぬ。

 陣立に江戸の力士として参加させられる羽目になり、郡代の切腹は奥右衛門にとって自分にも責任があるような重圧感を感じ、同時に、鉄舟若様のご心痛を思う。

 奥右衛門は大佐(大阪屋七右衛門)に奉公していた時、帳場にあった地球儀で、沢山の国がある世界と、小さい日本の国に驚いたことがあった。

 幕府の狭い封建鎖国の枠を越え発展していこうとする経済成長を、幕府も諸大名も旧来の鎖の下に繋いでおこうとする。だが、農民も商人も、下級武士も、上級武士への反撥が限界になっていた。幕府の独裁制の下では朝廷は位階の家元的存在だった。

 鉄舟はあくまで尊皇攘夷の持論だったのである。

(川崎市 郷土史研究家)

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随筆通信 月 2008年 6月号/通巻66号

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