連山 池部淳子  (随筆通信 月69より)
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連山
池部淳子

門を出ると左手に山が見える。阿武隈山地の末の山で、峻厳ではない。丸みを帯びたなだらかで、穏やかな感じの山が横長にならび、また、手前から遠くへもあまり差のない高さで並んでいる。どちらかと言えば、低い山が連なっているという感じである。

自動車で10分も行けば、この山中には行って行く。国道289号線が山間を縫い、トンネルをくぐり、山を横断して白河まで続いている。

毎朝、新聞を取りに出ると、私は必ずその連山を見やる。もう習慣である。あの山があって、私はここにいる。私がここにいて、あそこにあの山がある。そんな妙な存在関係が私の中にできていて、毎朝見る連山に私の感性が反応する。

山は同じ山だが、姿は毎朝違う。光が行き渡って清清しく、くっきりとした晴れた日の姿。半分雲に覆われた姿。まさに今、雲が山から離れようとしている姿。山だけに雪が降っている姿。山は毎朝自分の姿を見せる。 

今朝は今にも雨が降り出しそうな湿気の多い空気で、山は霧なのか、白い靄の中に掻き消えて全く見えなかった。午後二時雨は止んだが、山はまだ完全に靄の中、姿は現れていない。天気は晴れていくとは限らないようだ。 

連山は春には若い緑の明るい色になる。初夏からはどんどんと緑の嵩を増やし、濃淡の緑で生彩を輝かせる。山が一回り大きくなって、近づいたと感じさせる。そしていまや秋。

いわきは旧盆を過ぎたとたん、急に涼しくなって秋の気配。山もどことなく緑の色に影ができてきて、深まっている。このまま残暑もなく過ぎてしまうとは思われないが、山の色は濃さを増して、秋を感じさせる。

 

東京では、門を出ると左手に山が見えるとはいかなかった。それどころか山が見えないのである。日常の視界の中には山がない。「東京には空がない」ではないが、「東京には山がない」と驚いた。だから、山によって季節の移り変わりを知ることはできなかった。  

東京で季節を感じさせる自然のものはもう少ない。樹木も少ないというより、ほとんどない。暖寒は機械でコントロールする。数少ない中で季節を感じさせたのは桜である。銀杏である。そして秋の雲。そして月。それに雪。もはや星は見えない。  

現在、俳句を作る対象の一つとして山がある。山が折々その姿で私を感動させる。親しさとありがたさで私の心は豊かになる。  

 (『月』発行人)

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随筆通信 月 2008年 9月号/通巻69号

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