老いのつぶやき Bちりとれちん 蒲 幾美  (随筆通信 月72より)
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老いのつぶやき Bちりとれちん
蒲 幾美

今から半世紀前、半農半商の田舎町に育った私は、芸事の好きな祖母の初孫として可愛がられた。祖母は三人の娘達に三味線を習わせたかったが、三人とも性に合わず、私と妹に期待した。

町には名取りの師匠が一人、飛騨の旦那衆の出張所になっている屋敷にお茶と長唄教授の第二夫人が住んでいた。町の人々はここを出張と言っていた。 

祖母は楽しいこと、歌舞音曲が好きだったと思われるが、当時の百姓暮らしには縁が無かった。

その頃、石田楼という料亭があり、亭主は浄瑠璃、女将は緑内障で眼を患いすべて耳学問で教える。祖母は私と妹を頼んだが,結局私だけが残った。長唄、端唄、清元など、長唄は鶴亀、端唄は松づくし、清元はしんたぬきなど古い話で殆んど唄も忘れている。

年頃になった私は古い米屋の長男の嫁として日々米屋の店に出ることになった。子供の頃から人に接する事と数学は苦手で引込みやだったがそんなことは言っていられない。

姑(夫の母)は米の中で育ち結婚して一児を生んだ。姑の父親から「わしは今の婿に死に水はとって貰わん」の一言で離婚した。二歳で母親をなくした姑は二度目の結婚をして七人の子を産んだ。商売をしながら七人の子供らは育った。昔の商売やでは教育ママなどなく子供らはお互いに妹たちの面倒をみていた。女の子ばかりのところへ長男が生まれると、家中がはれものにさわるように扱い、それが自我な生き方となって生涯貫いた。

毎晩のように、旦那衆のあんさま達と○○会など呑み遊ぶ会に出かける。今日は着物に角帯、着物に袴、洋服と不意の心変りにそなえ三通り揃える。

或る時に、恒例の米屋の会合に出かけた。夕方から吹雪になった。越中から馬車で仕入れの米を運んできた。四斗入り十八俵を軒下に降ろすと荷馬車は帰っていった。

姑は私に「あの米俵を蔵まで運んでくれるよう小又のおやじに頼んで来てくれ」と。

私は向う三軒の人も知らない新嫁の立場で、頼みに行く勇気など持ち合わせなかった。

私は幼い頃、裏の田んぼから観音開き戸の土蔵へ米俵を運んだ父を想い、自分の力で運ぼうと決意、俵の直径を計り十八俵分の位置を決めると一俵づつ転がして運んだ。最後の一俵を終えたとき俵の上に体を投げて休んだ。生涯にこれ程力を出しきる事は無いだろうと。

姑も血族もみんな天界へ旅立った。遠くに住んでいる夫の姪が時効だから話したいことがあると言う。「私の尊敬していた教師が一流婦人雑誌に自伝小説を書いて賞を受け一躍有名になった。彼女の趣味は三味、太鼓、唄、酒もうまい。オジさんは彼女と同趣味、共に唄い、呑み、ちりとれちん≠フ長い愛人関係を続けていた」と言う。私は今が幸せ、過ぎ去った事はゆるすさとり≠フ境地で日々合掌している。

 (川崎市 郷土史研究家)

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随筆通信 月 2008年 12月号/通巻72号

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