宇宙と生物 杉山康成 (随筆通信 月72より)
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宇宙と生物
杉山康成

かつての天動説の世界では、地球は宇宙の中心にあり、そこに棲む人間は神から選ばれた特別の存在であった。しかし、その後、科学の発展により、地球は宇宙にある無数の天体の一つに過ぎなくなり、宇宙の中心に君臨していたはずの人間は、いつしか広大な宇宙におけるちっぽけな存在に落ちぶれてしまったのである。しかしながら、一方で最近の科学の進歩は、逆にこの宇宙のなかでわれわれ人間がけっしてありふれた存在ではないことを示しつつあるように見えるのである。

その根拠の一つは、これまでのところ地球外に生物が存在する証拠が得られていないことである。度重なる探査にもかかわらず、あの火星にすら生物の痕跡は見つかっていない。宇宙から来る電波の観測からも、生物の存在を示すデータは得られていない。われわれは、この宇宙で唯一の生命体なのかもしれないのである。

そんなはずはない、という人もいるだろう。宇宙には無数の星があって、そのどこにも生物がいないなどということはありえない、と。しかし、果たしてそうだろうか。

この地球に生物が誕生したのは今から40億年ほど前だといわれている。この初期の単細胞生物は今の生物に比べ幾分単純だとはいえ、生物としての基本的な仕組みは同じである。細胞は、体外から素材とエネルギーを取り込むことにより、DNAに書き込まれた遺伝情報からさまざまなたんぱく質や酵素を巧みに作り出し、時として外敵から身を守り、子孫を残していく。しかし、この巧妙で複雑な生命現象が明らかになればなるほど、ある大きな疑問が頭をもたげてくる。最初の生物は、いったいどのようにして生まれたのか、ということだ。

生物が無生物から自然発生するものではないということは、今から150年ほど前に証明された。その後、生命現象のあまりにも巧妙なメカニズムがわかるにつれ、それはますますもっともなことだと思われるようになった。自然界の分子から偶然の化学反応によって突然細胞が生まれることなどとてもあり得そうもない。実際、この宇宙の全原子を考慮し、偶然の化学反応によって生物が生まれる確率を計算した人がいるが、この宇宙が1000兆回あったとしても、その確率は限りなくゼロに近いという結果だった。確かに、もし簡単に生物ができるなら、現在でも地球上のどこかで無生物から生物が次々と生まれてくるはずである。そうした話は聞かないし、たとえ現代の科学をもってしても、無生物から生物をつくることは不可能なのである。

だが、地球上にわれわれが存在していることも、紛れもない事実である。宇宙の歴史のどこかで、生物は確かに生まれたのだ。それはまれに見る偶然によるものだったのか、あるいは神様が何か特別な手を使ったのだろうか。

いずれにせよ、われわれは生きると言う宇宙の中でも相当に手の込んだ行為を日々続けているのである。そう思って、改めて自分の生を見つめ直してみるのも悪いことではない。

 (東京都 会社社長 理学博士)
E-mail:ebiman@kb3.so-net.ne.jp HP:http://ebiman.fc2web.com/

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随筆通信 月 2008年 12月号/通巻72号

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