祖母の教え 杉山康成 (随筆通信 月73より)
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祖母の教え
杉山康成

先日、祖母が亡くなった。満97歳の大往生だった。この2−3年は、記憶があいまいで、自分の娘もわからない日もあったが、意識はしっかりしており、冗談を言って笑わせることも珍しくなかった。昨年末に、入っていた老人ホームで食事も水も取らなくなり、やむなく病院に入り点滴を受けることになったが、しばらくすると点滴も拒絶してしまい、その8日後に亡くなった。最後の日まで、見舞い客に対し必死に両手を合わせ、感謝の意を伝えようとしていた。

祖母が自ら死のうとしたのは明らかだった。物欲がなく、ただただ自分の娘たちの幸せだけを願っていた祖母にとって、記憶が衰え、周りに迷惑をかけているのではないかという思いは耐え難いものだったのだろう。食事も水もなしの8日間は楽なはずはないが、病死でないため死顔はきれいで穏やかだった。身内だけで行った葬儀では、多くの曾孫を含め参列した親族はいずれも祖母に対しての暖かい思い出を胸にしていた。人の死に際しては、いつも何か虚しい思いを感じる僕も、最後まで自分の意思で生き切った祖母に対してあっぱれという思いに打たれ、何かすがすがしい気持ちさえあった。

生き物のなかで将来の死に対して恐怖や不安を抱くのは、恐らく人間だけだろう。死を恐れる理由はさまざまだろうが、その一つはいくら充実した人生を送ったとしても、死ねばすべてが失われてしまうという思いがあるからだ。いくら楽しかろうと、何かすばらしいことを成し遂げようと、次第に歳を取り、最後には死んでしまう。結局、全ては無駄ではないのか。そうした虚しさが、人の心に晴れることのない影を落とすのである。

霊魂の概念は、そうした苦痛から逃れるために生まれたのだろう。死んでも魂が残るとなれば、死の恐怖は消える。確かに生命というのは不思議なもので、それまで生きていたものが、死んだ瞬間、ただの物体となってしまう。生き物に生気を吹き込んでいるのは霊魂であって、死によってそれが肉体から抜け出すと考えるのも無理はない。しかし残念ながら、誰もがそうした霊魂の存在を信じられるわけではない。

われわれは親から生を授かったと思っているが、われわれの生命は実は40億年前に地球上にはじめて誕生し、それが進化しながら途絶えることなく綿々と受け継がれてきたものである。当初、単細胞生物は2つに分裂することで次世代へと生命をつないでいたが、今日では、60兆個の細胞がひとりの人間を支えるまでに進化し、この40億年という長い旅の最後の80年ほどを、われわれはひとりの人間として生きているのである。

人生とは、40億年に渡る生命の進化の結晶なのだ。人間として生まれた以上、すべての人にこの最後の80年間を生きるチャンスが与えられている。祖母はみごとに、その人生を締めくくった。そして、死について悩む前に、生きていることに感謝するよう、最後に僕に教えてくれたような気がするのである。

 (東京都 会社社長 理学博士)
E-mail:ebiman@kb3.so-net.ne.jp HP:http://ebiman.fc2web.com/

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随筆通信 月 2009年 1月号/通巻73号

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