梅の花が満開の時
池部淳子
いわきはいま梅の花が満開である。
母は梅の花が満開の平成九年三月十二日に亡くなった。もう十二年前のことになる。
母は山腹で、村を一望できるような見晴らしのよい墓地に墓を買って用意していた。私の骨もいずれそこへ入ることになるだろう。
でも、私は掃除以外、その墓へ行くのは殆んどない。確かにその墓へ行けば、母が死んだことが事実であると再認識する。母はもうこの世にいないのだ。
だが、母が亡くなって十二年経っても私は母を実感できる。様々の表情の母の顔が宙に浮かび上がってくる。
帰省した子を迎えるうれしそうな顔、親子でご馳走を食べる時の明るい顔、和裁をしている時のしずかな顔、文章を書いたり、絵を描いたりしている時の集中した顔、お花を教える時のきりっとしていて、どこか優しさのある顔……。みなはっきりと私のすぐ側に浮かび上がってくる。
七十二歳で脳血栓で倒れ、後遺症で左半身不随になった母を妹と二人で五年間看病、介護した。
この日々の母を私の肌が覚えている。朝、母のベッドの右側に立ち、私は左手を母の背中へ差し込みながら母を起こす。左腕に感じる母の体温、体の重さ。車椅子に乗せるために、母を抱きかかえた時の、私に預ける母の体重、暖かい体温。散歩が好きだった母を車椅子に乗せて、押して歩きまわった時、守ってくれると信じきっていた母の感覚。起きるも、立つも、食べるも、寝るも、全ての行動に手を貸し、力を貸した五年間に、私の全身が母を記憶したのだ。
私の手は母への触覚を今も忘れない。左腕を伸ばせば、かつて母を起こそうとした時の力の入れようを腕が思い出す。母は私の様々な感覚の中に今でも消えずに、はっきりと再現してくる。母が私と共に在る。いや、私は母と共に在る。十二年の歳月は母を忘れる歳月ではなく、母が側にまだ居るように私が生きた歳月だった。
だから、母の墓参りに行くのは偽りの行為のように感じるのだった。
かの五年間の日々の中の、到らなかったことや失敗を思い出すと、それはそれは悲しくてつらい。楽しかったこと、共に感動したことを思い出すと幸せだ。誰も加わらない二人だけの、母子としての人生、母子としての歴史が私と共に在る。それが私を苦しめ、かつ私を励ます。
今後どうなるのか。感覚が薄れてしまうのか。母を忘れてゆくのか。それは解らない。
ただ、私が死ぬ時、母はもう一度死ぬだろう。
(『月』発行人)
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