会いたい人 池部淳子  (随筆通信 月77より)
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会いたい人
池部淳子

「庭の枝垂桜は土日頃が見頃になるよ。いらっしゃいよ」と蒲幾美さん(川崎在住・飛騨郷土史研究家)から電話があった。「それじゃあ、日曜日に伺います」と私は答えた。

私と蒲さんがお互いにきちんと名告り合ったのは平成12 年のことである。同じ俳句結社に所属していたので、それ以前から幾度か姿を見ることはあったが、蒲さんは多忙で句会への出席率が悪く、私は新人で誰が誰やらよく解らずという状態で、しばらくは縁がなかった。

だが、私が「池部出版・デザインオフィス」を始めた平成11 年から2年目の平成13 年に、蒲さんは『飛騨の夜ばなし』を私のオフィスから出版した。蒲さんは私の仕事のお客様だったのである。以後『飛騨つれづれ草』を始め、大小の本を作らせてもらった。その間に26 歳離れた蒲さんとは、客と編集者という立場でありながら、母と娘のようであり(蒲さんには女の子はなかった)、同時に友人であるような、複雑ではあるが礼儀正しく,かつ親しい間柄になっていった。

平成18 年私が東京を去って故郷いわきに帰ることに決めた時、蒲さんに「お互いに毎日葉書を書きませんか。こうした、ああした、何を食べたとか、つまらないことでもいい、元気だの一言でもいいですから…」と提案した。蒲さんは「それはいいわね」と答えた。そして葉書便りを二人で一年間続けた。その結果、離れていても客と編集者であり、母と娘のようであり、そして友人であることに変りがないことを確認した。離れていても二人の心の交際は続いている。

4月12 日、春の花の咲き乱れる庭の角高く、36 年経つという枝垂桜を蒲さんと眺めた。昼食を共にして、互いの現在の暮らし方、最近の経験や考え方、蒲さんの先輩としてのアドバイスなど、話は尽きない。90 歳ながら蒲さんは歩行は可能で,思考力は鮮明である。だが、体力は無限ではない。訪問は二時間半で切り上げ、帰路についた。

帰りは上野から特急で二時間。車中考えた。会いたいから会いに行く。何の思惑もなく、互いに会いたいから会う。蒲さんも「遥々ありがとう」とにっこり笑う。二時間半の出会いのために蒲さんの家まで往復六時間。でも、帰りの列車では心豊かである。こんな出会いが出来るのは幸せというものである。

年とともに利害関係によるつきあいになってくるのが大方である。できるだけ得になる交際だけをしようとする。

でも、会って共に同じ時間をすごせばいい。虚飾なく話ができればいい。それだけで、会えて良かったと思えるような交際,そんな交際が他にあるだろうか。

翻って考えれば、「会うだけでいい。会って誠実に話ができるだけでいいから、あの人に会いたい」と思われるような人間でいたいものだ。ああ、一生をかけた大きなテーマだなあと、山桜をちりばめた窓外の景色を見ながら思った。

 (『月』発行人)

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随筆通信 月 2009年 5月号/通巻77号

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