晩秋の道 池部淳子  (随筆通信 月83より)
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晩秋の道
池部淳子

あさっては十一月。「わが庭の十歩に尽きて杜鵑草」と九月二十日の句会に詠んだ杜鵑草もすっかり花を散らしてしまった。

いつも眺める遠い連山は、身を細めるように低くなり、色は黒ずんで濃くなった。わずかに遠くなったように感じられる。山は不動不変のようだが、四季の移り変りに従って変容を見せている。

紅葉も進んでいる。桜の木が紅葉の走りだった。あまり目立たず、色もさほど鮮やかではないが、「紅葉が始まったな」と最初に感じさせるのはいつも桜の紅葉だ。そして、他の樹に先んじて、知らず知らずのうちに落葉を敷き始める。裸木になった桜は凩に耐えながら長い冬を越して行くのだ。春を待ちに待って花開く。だから、桜はあれほどに美しく豪華に、歓喜の花を咲かせるのだろう。

今日は久しぶりに片道徒歩25 分ほどの大型スーパーマーケットまで歩いて買物にでかけた。途上、しみじみと晩秋を感じた。

菊は葉が枯れつつある。だが、花はまだ鮮明。水気が無くなっていくほどに、花の色の濃度が濃くなっていくのかと思うほど鮮やかだ。枯れて行く葉に逆らうように燃える花、枯れ菊は哀れを誘う。

山茶花垣の家も多い。花が咲いていたり、散っていたり。白い山茶花、赤い山茶花。俳句では山茶花は冬の季語だから、散り敷いた山茶花を見ると、冬の季語にしては早く散りすぎると思ってしまうが、11 月7日が「立冬」なのだ。山茶花の方は季節に合っている。

道筋は街を外れた住宅地で、大きな農家も多い。それぞれ広い庭に柿の木、柚子の木。柿は日差しの中に沢山の赤い実を浮かべている。柚子は良い色になってきている。大好きなあの香りを口にするのも間近い。

一軒の大きな農家の屋敷杜に三本の欅がある。みごとな大欅だ。見ていると呼吸が楽になって、気が大きくなるような雄大さで、空に広がっている。その欅も紅葉し始めていた。部分部分に赤い葉が固まっている。欅の部分染めみたいである。欅も紅葉するのだと初めて判ったような思いで大樹を見上げた。

この欅がすっかり落葉すると、隠していた骨組みが現れたような裸木になる。北風の中で、巨体は力強い。全てを脱ぎさった樹の底力をみる。私は冬の欅も好きだ。

斎場の駐車場を囲むように咲き満ちていたコスモスは、可愛らしさと妖艶さを見せていたが、前回の買物の時には、台風の後だったので、乱れたのを束ねられていたが、今回はすでに刈られて、何と跡形もなくなっていた。コスモスの群れは夢だったかのごとく、白いフェンスだけが駐車場を囲んでいた。

久々の徒歩に心地がよかった。帰路には晩秋の夕日が傾きだした。弓張月が鮮明になってきた。竹薮に烏瓜が赤い。

 (『月』発行人)

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随筆通信 月 2009年 11月号/通巻83号

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