欅
池部淳子
今年は近くで欅が紅葉するのを見た。実は迂闊にも欅が紅葉すると私は思っていなかったのである。
庭の塀の外には幅一・五メートルほどの道路があって、その向こう側が、学芸大付属小学校の校庭だった。私は二階に住んでいたので窓から校庭が見下ろせた。
校庭の縁には飛び飛びに七本の欅が植えられていた。それが見事な大樹になっていて、そのうちの一本が私の窓の正面に立っていた。
欅は腕を伸ばすように、枝を道路の方に差し伸べていたので、私は窓近くに欅を見ながら暮らしていた。
春先に淡い緑色をした細かい葉が出たあと、夏までに堂々と茂って、梅雨の頃には鬱蒼とした大樹になる。私は窓辺に寄って雨が伝う欅の枝葉をぼんやりと眺めたりした。
さて、秋も深まって欅の葉は次第に黄ばんでくる。だが、黄葉というには明るさが足りない感じで、どちらかと言えば、薄い茶に近い色で、そのまま濃くなってゆく。そして北風が吹く頃にさらさらと音がしたかと思うと落葉が始まる。そして、ある朝窓を明けると、七本の大欅の茶色の落葉が校庭を占領していた。
いわきに帰って三年過ぎた今年、欅の紅葉を初めて見た。いや、毎年紅葉していたのかもしれない。気がついたのが今年ということかもしれない。
時折買物がてらに大型スーパーまで25 分位歩くが、途中に広い敷地の大屋敷がある。その屋敷の裏側、屋敷杜に三本の大欅が立っている。空に三本、突出しているので、遠くからでもはっきりと判った。
十一月半ば過ぎ、買物へと歩きながら前方にその大欅が見えてきた時、大欅が紅葉しているのに気がついた。まだ、斑はあったが、全体の三分の一は真赤である。私はえっと驚いた。欅は紅葉するのだ。
樹々の生態は地域や気候によって変るはずだ。それが、長いこと欅の同じ生態を見ていたので、欅は紅葉しないと思い込んでしまった。この思い込みには私自身驚いた。そして迂闊で間の抜けた自分を見る思いだった。
(『月』発行人)
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