心にのこる人々 F大野林火  蒲 幾美  (随筆通信 月84より)
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心にのこる人々 F大野林火   

林火のお宅を訪問したときのこと、「外へ出よう」と誘われた。近くにある喫茶店だった。林火師はとうもろこしのポタージュを注文された。コーヒーよりこの方がカロリーがあり、腹もちも良いと、合理的な説得力におどろいた。

当時、林火を師として『浜』の『飛騨支部』が誕生していた。会員に句作をすすめ、会場の予約からその他の面倒をみていた。それ以前から高山市には小鳥幸男、山口麓男の両氏の『浜高山支部』があった。

二〇〇一年春、高校生の息子は安房峠の谷底にあった一メートル四方もある平たい自然石(なたね石)を見つけた。

息子はその石に油絵で日本を縦に割った飛騨山脈を画いていた。

登山好きの山男の夫と息子は意気投合して、この石を谷底からクレーン車で曳き上げた。この石で作った句碑には宮川を詠った林火の句

   飛騨涼し北指して川流れをり

を刻んだ。句碑建立は「浜高山支部」と「朴の葉会」とした。

いろいろ苦難はあったが、二〇〇一年春、立派な句碑が宮川の中州・千代の松原に建立となった。

半世紀余も前のことだから庶民の暮らしは質素で、婚約指輪などという言葉もなかった時代だったが、私には夫からの自然石の最大のおくりものになった。

除幕式の式次第を林火師に送ると、式次第は、岐阜県知事の秘書をしていて『浜』の同人第一号の(林火の高校教師時代の教え子だった)S氏の指示をうけるようにと、連絡があった。

また,その会を利用されてか、お茶の水女子大の井本農一氏を招待すると、回答があった、勿論経費はこちらもち。

井本農一博士は、思いがけぬことに、古典俳句研究家の中村俊定が連句の師らしく、私が俊定先生から連句の教えを受けていることをご存知だった。

或る時、俊定先生が、連句の師の水口豊次郎先生の命日だが、足が弱って墓参できないと、嘆かれた。

「先生、会員ですぐ先生のお心を伝えておまいりに行きます」と、会員集合し、「先生、いまお参りしてきました」と電話すると、「そうですか、ありがとう、ありがとう」と、すすり泣きの声がもれて、俳諧のきずなの深さに感謝したのでした。

 (川崎市 郷土史研究家)

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随筆通信 月 2009年 12月号/通巻84号

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