心にのこる人々 G運転手の茂 H青い目の堂守り  蒲 幾美  (随筆通信 月85より)
月85 思い出の花(池部淳子) 月85 中国に学ぶべきこと(杉山康成) メニュー
□□□
□□
心にのこる人々 G運転手の茂   

事実は小説よりも奇なりという出会いもある。

若い頃、半農半商の町は地主旦那と小作の二つの流れがあった。吉島八百さんは産土神の神主の娘で、広い心を持ち、一族の反対をおしきり施設で暮らす親のない子の里親になったりしていた。そして、短歌会の代表でもあった。

私は商家育ちで俳句のグループの面倒をみていたが、いつのまにか小さな町の人々は短歌と俳句が競い合っているように錯覚をしていた。

その頃、我が家では土木建築業をしていたが、うちの運転手・茂の女房が、吉島工業■の既婚者の男性に恋をした。それは小さな町の噂になった。

ある時、運転手の茂が「親父さん、今晩ひと晩うちの女房と子供をお宅に泊めてください」と言う。どうしたのかと聞くと女房の彼氏がけっとうを申込んできたという。

当日になると、決闘を言い出した運転手は白装束、半袖の白シャツに白さらしの腹巻、白の股引姿で別れの挨拶に、親戚や近所回りを始めた。

何を馬鹿げたことを言っているのかと、周囲は見ていたが、知れば命を賭けた決闘であることに一同愕然とした。

私の夫と当時高校生だった息子は運転手の金子茂宅へ。

母親は何も知らないのか、「お父さんは?」と聞くと、畠に行っているという。「すぐ迎えに行って!」とせかし、息子は「茂、落ち着け!」とどなっていた。

茂が長い棒で天井を押すと、ばっと埃と共に一尺余りの日本刀が落ちた。息子はさっと取り上げ、どこかへ隠した。

一方、茂の女房は最後の別れをするから、荒城川の土堤を彼と三十分歩かせてほしいと申し出た。

くやしさに茂のこぶしはふるえていた。

さいわい血を見ずして、事件は終ったのである。

***************************************************************************************

心にのこる人々 H青い目の堂守り   

知人がお彼岸の墓参りの帰りに寄った。

彼女が実際出会った体験を語り出した。

十数年前のこと、染井墓地の中を歩いていると、何とも妙な気分になった。頭が痛いのでもない。胸が痛むのでもない。何かが背中に負ぶさったような気がする。同行の彼女の夫や息子が「負ぶさっている手を払え!払え!」と叫んで、三人で体中をたたき、ついてくるものを追い払った。

その日のテレビニュースで、染井墓地の他殺死体を放映した。それが丁度彼女がそのあたりを歩いていた時間とぴったりする。思い出しても身震いする怖さだったそうな。

私は浄土真宗を信仰している他力本願の飛騨で育ち、人間死ねば必ず、貧乏やどんな立派な肩書の人でも極楽へ行ける。〈まして悪人においておや〉という教えが身に染みていた。

かつて高野山の奥の院のお堂へお参りした時、青い目の修行僧が堂守をしていた。「永代経百円也」とあり、百円で永代経をあげてもらえるのですかと聞くと、堂守は「それはそれ、仏の道も金次第」と、流暢な日本語の返事。

彼の世も六文銭だけでは通れず、金色の小判がまかり通っているのかもしれない。

 (川崎市 郷土史研究家)

□□
□□□

月85 思い出の花(池辺淳子) 月85 中国に学ぶべきこと(杉山康成) メニュー

随筆通信 月 2010年 1月号/通巻85号

Copyright © 2010 杉山康成/SUGIYAMA Yasunari, All rights reserved.

広告 [PR] 高収入  メイク 美容家電 無料レンタルサーバー