春 光 池部淳子  (随筆通信 月87より)
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春 光
池部淳子

二月十二日、十三日と、続いて雪模様だった。十一日の夕刻から降りだして、十二日の朝は真っ白。見たところ積雪十センチという雪景色だった。雪の降ったあとは快晴になるのが殆んどであったが、十二日は重く曇ったまま、時折まばらに雪が舞った。そして、十三日午後になってまた、はらはらと心細気に降りだした雪がやがて本格的になってきた。

だが、雪は大きな牡丹雪。地に届いて消えた。夜には止んで、夜は冷えた。

東京に住んで、福島県いわき市生まれですと言うと、福島県ならさぞかし雪深い所で「雪は一メートルくらい積るのですか」と聞かれたものであった。

いわきは海岸沿いの平野で雪の少ない地方である。雪が降るのは年に数えるほどで、近年は更に少なくなっている。

今日十四日は晴れた。青空である。光が明るく、柔らかい。春光である。暦では二月四日が立春で、もう春になっている。だが、昨日は冬で今日は春という感じである。

軒下には屋根から落ちた雪が重なって積っているが、庭木に積った雪は黄楊の木の頭に残っている程度。白木蓮の枝に雪雫がダイヤモンドのような七色の光を放っていたが、いまはもう溶けて消えた。樹木は明るい春光を浴びて、大手を広げて喜んでいるように見える。

庭の白木蓮は晩秋に大きな葉をどさっと落すと、極々小さく硬い蕾をつけているのが判る。その蕾が寒風に耐え、寒雨に耐えながら、わずかずつわずかずつ膨らんでゆく。色も茶色の硬そうな殻の色から、綿毛で身を守るような形でグレイになり、色が淡くなってくる。そして二月半ばの今は、蕾の尖端がかすかに白くなってきているように見える。大きさもこのまま膨らんでいって開けば花になるのだなと、予想できる大きさになった。

この蕾はいつ咲くのだろう。三月初めか、三月中旬か、いや、ことによったら二月中に咲くのかもしれない、今年は開花の日をメモしておこうなどと思いながら窓越しに眺める。

白木蓮の春夏秋冬を見て、木が自然の運行に従いながら、生き続けていく姿を知った。

自然の変化に対応しながら身を守りながら、急ぎもせず、遅れもせず、幾年も生きる。さほど大木でもない白木蓮でさえ悠然としているではないか。

白木蓮に学ぼう。雨が降ったら雨を詠み、雪が降ったら雪を詠み、椿が咲いたら椿を詠み、白木蓮が咲いたら白木蓮を詠む。私も自然に添って悠然と俳句を詠んでいきたい。

 (『月』発行人)

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随筆通信 月 2010年 3月号/通巻87号

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