心にのこる人々 Jおらく  蒲 幾美  (随筆通信 月88より)
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心にのこる人々 Jおらく   

何ヶ月も思い出せなかった事が、本箱をのぞいていて、ほたる袋(釣鐘草、提灯花)がひらくようにぽっと音をたてて出てきた。絶世の美女、又は飛騨の小野小町と呼ばれていた女性の名である。

明治の初め、飛騨は天領直轄となり、若くて優秀な役人が赴任して来た。そのころ、高山の町には「梅村騒動」には欠かせない合羽屋おらくがある。この話は『明治大正俗聞史』著者、長尾量平氏に詳しいので、原文のまま、その内容を引用させてもらう。

本名は、岩井よしといい「初代高山県知事梅村速水の切なる恋をしりぞけて、花顔柳姿を中橋川畔に七日間晒しもの」になった。「豆腐で足を冷やすなどの贅沢三昧」「定まれる夫とてあらざりしままに四十五十の老木になるまで随分小料理屋這入りなど」していた。そして「島川原の裏の棟割り長屋の侘しき貧世の中でも十銭あれば十銭,廿銭あれば廿銭と朝夕徳利に親しみて」いるうち「本月初め嵐の心地が元となり同七日枕元に看病の身寄りもなく、近所の世話を受け、六十七才を一期として終に往生を遂げた」これは「業平を尻目にかけた小野小町の卒塔婆に腰打ちかけてのたれ死の其れと趣を同ふし」たのだと、褒めたのか、けなしたのか判らぬ記事で,噂の人の終末を知らせている。この事につき『市民時報』真木社長は「私も近所にいて、よく姿を見たが、死骸はたばこの空箱(当時きざみたばこは、約一メートル五〇センチ、深さ四〇センチの木箱入りで送られて来た)に詰めて火葬場に搬んだ」と話している。

なお、おらくの墓は三福寺歓喜寺にあり「釈尼妙珠」の戒名がある。歓喜寺と言っても、同寺の裏山の中腹を越えて更に田圃をめぐって北面に面した洞の傾斜面になった針葉樹の木立の蔭に形をとどめるが、身寄りの人によって建て換えられているのであろう。

卒塔婆だけで、教えられて訪れても、見出すに暇がいる。戦前はよく詣られる人もあったが、近頃は特殊な方とお見受けする人がたまさかお見えになるだけですと、里の老人は語った。

歴史小説家川口松太郎は、梅村と合羽屋おらくをテーマに小説を書いている。飛騨と美濃の境界、位山の分水嶺を分けて宮川と荒城川が流れ、古川町で合流して日本海の富山湾へそそぐが,この宮川で梅村とおらくは恋の船出で遊んでいる。おらく伝説の角度をかえて恋仲になっていた。

 (川崎市 郷土史研究家)

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随筆通信 月 2010年 4月号/通巻88号

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