羊飼いの少女
池部淳子
4月22 日の朝日新聞『be』版のアート面に一八一四年生まれのフランスの画家ジャンフランソワ・ミレーの『馬鈴薯植え』という絵が載った。名画の紹介面である。
ミレーのこの絵を見て、しばらくぶりに思い出したことがあった。
かつて故郷のいわきを離れて上京して、二、三年たった頃だったろう。当時は東京でしか味わえなかった海外の文化・芸術に何とか接しようと絵画の展覧会をしげしげと見た時期があった。
そんな当時、多分上野の美術館だったと思うのだが、どこで、いつごろ開かれたか、それらはもう忘れてしまったが、ミレーの絵の展覧会を見たことがある。
その展覧会の会場だった。ゆっくりと歩きながら見ていたが、ある一つの絵の前で立ち止まった記憶がある。その絵が『羊飼いの少女』と題した絵だった。
黄昏時、残照の中で、羊のかたわらに立ち、胸にひきよせた手の十字架に祈るような視線を向けている一人の少女を描いたものであった。少女の立ち姿は正面ではなく、わずかに斜めで、視線が手の十字架にあるので、顔もわずかに伏せかげん、画面からは純真で敬虔な感じがよく伝わる少女像であった。少女の衣服の錆びた赤い色は質素な暮らしを感じさせた。
ミレーに『晩鐘』という作品があるが、教会の晩鐘でも聞こえてきたのか、少女は十字架を取り出して今日も無事終らせて下さいとでも祈っているのだろうかと、想像させるミレーの絵だった。少女が無心にながめている十字架だけが光を放っているように明るく描かれていた。
私はこの絵が気に入った。黄昏どきの自然な光の風景、羊も少女も衒いなく自然で、身なりも質素、とりわけ際立たせようというものがない風景だが、そこには祈る少女を通して人間の純真さと敬虔さが描かれているように思えた。
会場を出るとき、『羊飼いの少女』の絵のポスターを買った。B全版だったのだろうか。畳一畳とまではいかないが、かなり大きく、当時の学生の私としては奮発したのだ。
そのポスターをベッドのそばの壁に貼った。絵は壁一杯になったが、その絵を見ながら私は寝入った。
その絵を見ていると少女の無心さ、邪心のなさが心を清めてくれた。人間の気高さを感じさせた。安心して眠れた。
ポスターは周囲が擦り切れるほど長い間壁にあったのを覚えているが、最後はいつ、どうなったかは思い出せない。
新聞紙上の『馬鈴薯植え』の絵を見て、懐かしいミレーの絵を思い浮かべた。人間には澄んだ心と気高い精神があるということ。それはミレーの絵が私に与えてくれたものだ。若々しい時に純真さと敬虔さに心打たれたことは私のどこかに残っている。
(『月』発行人)
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