心にのこる人々 K見番  蒲 幾美  (随筆通信 月89より)
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心にのこる人々 K見番   

入社試験や入学試験など、受験の季節になると、本人はもとより肉親一族お願いするのは神さま仏さま。必死に神鈴を鳴らして合掌しながらお賽銭を賽銭箱に入れ忘れるのもいる。

いつだったか高野山奥の院へおまいりした。

永代経一万円よりと木札に書いてある。坊守りの青い眼の若い僧に「えーっ!一万円で永代経をあげてもらえるんですか」と問うと、「それはそれ、仏の道も金次第」と流暢な日本語で即答があった。成程、成程と合点した。

私の子供の頃、実家は県道の氏神の杜のそばで小さな旅人宿をしていた。飛騨の小さな町では、一家の女たちは自宅で一人用の糸ひき釜を持ち、生糸を作っていた。どこそこでは女の子が何人いるから、ひとしんしょ(財産)つくって蔵を建てたの、田畑を買ったのと、けなる(うらやましがる)がった。飛騨の娘たちは子供の頃から糸をひいているので、器用な手先をもっていると、採用の季節になるとどっと岡谷や諏訪の見番(男の係員)が押しかけた。当時、飛騨の娘たちはあこがれの都市へ集団就職したのだった。

一日中働いても、糸を切ったり、下手な作業だと罰という処置があり、毎日工女たちの目にふれるところに筆太で書き半紙で張り出された。

罰をとられ泪で涙腺がつまっても医者へ行くこともできなかった。

逆に優良工女になると、嫁入り仕度の箪笥家具一式貰った者もいた。

お盆休みには飛騨から働きに行っている娘たち三千人が、仕事着を脱ぎ、手織縞や絣の長着に着がえて、黄色い一幅前掛(京都の芝売りの娘のような)をかけて遊びに出て、盆三日の休みの間は町は黄一色に彩どられたと言われている。

一年の働きを終え、故里へ年とりに帰る娘たちは、お高祖頭巾に赤い手甲脚半に草鞋ばきで、親たちに渡す金を胴巻きに、吹雪の野麦峠越えも苦にならず故里へ急いだ。

飛騨の小さな町には採用の季節になると、見番たちが押し寄せる。そのときの採用試験は「洗面器一ぱいの水」だった。

若い女の子たちがこの「洗面器に足を突っ込んで板の間を歩く」。板の間についた足跡に土ふまずがあれば採用。土ふまずの無いべた足は不採用なのだ。「一日十二時間立ち放しの仕事に耐え得るかどうかのテスト」が板の間の足跡で決まる。労働基準法などない時代だったのである。

 (川崎市 郷土史研究家)

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随筆通信 月 2010年 5月号/通巻89号

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