「七十歳の手習い」  池部淳子  (随筆通信 月29より)
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こいしかわだより
七十歳の手習い
池部淳子

 両親の住んでいた家がいわき市の勿来なこそに残っています。そこはなだらかな阿武隈山地の山裾平野が太平洋に尽きるまでを幅とした海沿いの町です。いまでも山海の産物に富み、自然の恵みの豊かさが感じられる地域です。東北の入り口ですから東京に比べると寒さが幾分厳しいけれど、夏は涼しく、冬は雪も殆ど降らず、暮らしやすいせいでしょうか、人柄は概して犬様といえます。

 母が亡くなってから9年目に人りました。そして、父が亡くなってから6年目になりました。

 両親が住んでいた家に風人れのため、私は時々勿来へ行きます。その都度、故郷の風に当たってくるとでもいいましょうか。故郷と私はまだ縁があるというわけです。

 風人れに勿来へ行った日、そこで俳句の句会を開くことにしています。三人の叔母と叔父が一人、その他に親しい方が二、三人、それが決まったメンバーです。午後二時に集合してきます。

 ところで、私の母方の三人の叔母、つまり三姉妹は私の勧めに素直に応えて俳句を始めましたが、その時、最年長の叔母は七十二歳でした。「七十歳の手習いね」とか言いながら始まりました。

 それまで特に趣味もなくすごしてきて、高齢になっていきなり習い事をする、勉強をする、というシルバー学習の見本のような三姉妹がすらすらと俳句ができるわけがありません。

 覚えては忘れ、覚えては忘れ、上手になったなと思ったら次の月は後退り、教える方もこうが良いか、ああが良いかと焦って、却って迷わせてしまうという堂々巡りが大分続きました。教え方も勉強し、研究していかなければならないことをしみじみ感じました。

 それでも、やがて、筍が地面から生え出てくるように明らかに、意味が通るようになり、時折しっかりとした句を作るようになりました。俳句を始めて六年半をすぎた今では三人で俳句について語り合うようにもなりました。何歳になっても学ぶということは人を磨くものだと知って、私も安心しました。

 三姉妹には今後も「年とった、年とった」と愚痴をこぼすことなく、日々俳句の句材を求めて、季節を感じ、美を求めて周囲に対する感性を磨きつづけてほしいと思います。

 私も、もしできることならば「あのように年をとりたい」と思われるような年寄になりたい。

 かつて私が若い時、尊敬する一人の人に「あのように年をとりたい」と思った、あの時のように・・・・・・。

(『月』発行人)

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随筆通信 月 2005年5月号/通巻29号


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