「世界遺産」  蒲 幾美  (随筆通信 月29より)
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世界遺産
蒲 幾美

 田植の季節になると自川郷合掌造りの民宿の五右衛門風呂を思い出す。泊り客は私一人。風呂から見渡す植田のあちこちに花あやめが咲き競っている。田園の美しい眺めに身をゆだねた。

 代々の自川郷の女性たちの生活の場は、にわ・・という手斧ちょうなばつりの柱やささら戸・・・・(打ちつけ障子)の台所を兼ねた作業場で、屋内の農作業や衣、食の仕事の中で子供を育て、またにわ・・は家族団欒の場でもあった。

 でい・・(客間)は仏事や冠婚葬祭などの場で、このでい・・の囲炉裏のそばで早い夕餉となった。囲炉裏の炎を見つめ時の流れを思いつつ独り酒。その時、宿のおやじさんが作務衣姿で徳利を持って「一人では寂ぴしかろうで」と、横座にどっかとあぐらをかいた。

 地酒を勧められ盃を交し酔の回ったころおやじさんは三味線を持ち出すと、見事な撥捌きの前奏は合掌造りの広い屋内にひびき融合してゆく。古代民謡「こだいじん」は、倶利加羅谷の戦に敗れた平家の落武者が自川郷に住み拡めたという。

  ♪おらがサーサヨー お背戸のしょろしょろ川に 昔しや蛇が棲む今亀が棲む 亀は亀でも人とる亀よ…

 早いテンポの力強い抑楊ある弾き唄いは時代によっては悪代官を風刺した歌詞になり哀愁の唄声になってゆく。調子に乗って私も延々と唄いながらふと、なぜここに居るのかと我に返る。そうだ自川郷出身で幕末から明治にかけて江戸相撲に貢献し、のち浦風部屋の親方となった白真弓肥太右ェ門の取材だった。

 村役場の骨折りで村の古老の「昔を語る」集いに参加したが、当時の古老には明治はもう遠い日のことで、白真弓の話は聴けなかった。白真弓の生家と丸亀藩お抱え力士時代の陣羽織や草鞋わらじなどをカメラに納めたのは一九七五年、またたくまに三十年の歳月が過ぎた。

 白川郷の人々は冬は深い雪の中で他郷と隔絶され、村人同士は助け合いゆいという労働力相互交換のしきたりと、村の掟のなかで、ひだびとの誇りを持って強く生きて来た。

 時の移り変わりで古い大家族制は癈り、陸の孤島でもなくなった。それとともに村人の生活も変ってゆく。いつかどぶろく祭りに出かけた。美しい着物に真白の割烹前掛、髪はセットしたての美人揃いの村の女性たちが神社の広場で数百人の観光客や近隣の村の人々に銚子ちょうしのどぶろくを一人ひとりに注ぎ接待している。「おきれいですね」と誰かが声をかけると「年に一度の村祭りなので、精一杯祭りを楽しんでいます」という。新の着物に赤い襷掛けを予想していたらしい観光客。

 世界遺産に登録された自川郷は、年々来村者も殖えてゆく。世代や風習は変っても白川郷の人々は先祖からの尊い遺産をひだびとの誇りをもって守り継いでゆくことと思う。

(川崎市 郷土史研究家)

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随筆通信 月 2005年5月号/通巻29号


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