こいしかわだより
映画の中の自然
池部淳子
「松竹が誇る名監督野村芳太郎氏追悼の意を表して十三作品を一挙上映する」という特集上映があるから一緒に行きましょうと誘ってくれた方がいて、八月の暑い日、東銀座の映画館へでかけて行きました。
映画は松本清張原作の『張込み』で、上映は十時からおよそ二時間。各回入れ替え制で、全席自由席。映画を見るのは久しぶりでしたが、ゆったりとした座り心地のよい椅子で、いつのまにか映画に引き込まれてゆきました。
この映画は白黒映画で、大木実が主役の刑事物でしたが、私は初めて見る映画だったので、とても新鮮に見えました。東京で犯罪に与した一人の青年が金は手に入れたが、実は病気の体で、もう逃げ場を失っている状態だったことから、主役の刑事が金のあるうちに昔の恋人に会いに行くにちがいないと予測して、今は結婚して九州の田舎町に住むその恋人が暮らす家を、そばの旅館に泊まり込んでもう一人の刑事と共に一週間見張るというのがストーリーでした。
真夏、豪快に煙を吐く蒸気機関車に乗って、二人の刑事が東京からはるばる九州へ出発するところから始まって、犯人の青年を捕えて再ぴ蒸気機関車に乗って九州を発つところまでが映画でしたが、今見ると、おのおのの場面が隅々まで強烈に当時の時代を伝えるものでした。戦後六十年のうちに、日本人が得たもの、失ったものの様々をこの映画は、はっきりと教えてくれるように思いました。
さらにこの映画で私が驚いたのは、画面に当時の自然が生き生きと生かされていることでした。自黒の画面のはずが樹木や草葉の生彩が映像から伝わってきました。
東京から九州までの急行列車による長旅の間、人々の暑さの表現やしのぎ方、扇子・手拭い・飲み物の小物など季節感の表現と同時に、それとなく背景となる山・川・海のありようは、人間が自然の中に生きているということを実にはっきりと浮かび上らせます。
そして張込みの間、一人の女性の行動を見張りつつ行動する刑事のゆくところ、川沿いの道、田中の一本道、畔道、山道、野原、そして、その周辺の藪から山、連峰、そして足元の小さな花まで、自然が息づいていました。
見失いそうになった女性の行方を追って刑事が野を越え、丘を越えて進むとき、人間にこうした強さが今はあるだろうかと考えさせられます。
現在の東京で見たから、とりわけ自然が印象的だったのかもしれませんが、同時にそれは野村芳太郎監督が映像に自然を生かした巧みさによるものだったのかもしれません。
(『月』発行人)
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