こいしかわだより
小菊
池部淳子
十月下旬の木曜日、午前中のことです。電話のベルが鳴りました。受話器を耳にあてると、「今○○駅なの、1時間後に東京駅に着くから、着いたら電話するわ」と携帯電話から女性の声、早々に切れました。
なぜか携帯電話というのはいつも最小限で、要点だけしか聞けません。しかも、ほとんどが一方的に用件を言って「返答はイエスか、ノーか」と要求するような、性急な場合が多いのです。
一拍遅れのような通話状態で、細かい事や微妙な内容を話し合うのは難しいけれど、「携帯電話の用件は短く」と暗示にでもかかっているようなようすで、皆性急なのです。
さて、突然上京してきた、その携帯電話の主に会うことになりました。
彼女は学生時代の友人です。二人掛けの机に並んで腰掛けて講義を聞いたり、読んだ本を薦め合ったり、薄い同人誌を出したり、名園を散歩したり、共に時をすごすことの多かった学生です。やがて彼女は大学卒業と同時に中学校の教師となって発って行きました。彼女と私はそれ以来、それぞれの人生を進みました。
彼女は教師を勤め上げ、昨年、定年で退職しました。その彼女をしげしげと眺めるのは三十八年ぶりでした。
長年の勤めの疲れが抜けて、自由な時間を楽しめるようになるには、彼女にはまだ時が必要かもしれません。でも、近いうちに定年後の夢や希望を実践する時がくるでしょう。
ところで、三十八年の歳月の後に再会した二人がこれからどのような交際をしてゆくのがよいか、私は考えました。
学生時代の出会いは運命的です。偶然的で、感覚的です。しかし、三十八年のそれぞれの歳月と環境が、すでにそれぞれを形成しています。再会はうら若い時とは違います。偶然のままではなく、それぞれに経験から積み重ねた理性的判断があります。そうした現在、信頼しあえる長い交際を続けるには、それぞれが長年働いてきた世界から得た様々な知識・知力が有効に生きるような、独自な交際があるのではないかと考えました。彼女は私にテーマをくれました。
今、花瓶には彼女が抱えてきてくれた菊の花が生けてあります。色とりどりのかわいい小菊です。本に囲まれている私の仕事場に、菊の花は命あるものの息吹と柔らかさを添えてくれています。
(『月』発行人)
|