「一日新百合族」  蒲 幾美  (随筆通信 月35より)
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一日新百合族
蒲 幾美

 久しぶりに小田急新百合ヶ丘で降りた知人は、若者の乗り降りが多いのに驚いていた。学園都市でなく田園都市なのだが、新百合ヶ丘を起点に多摩線があり、周辺には緑地や釣堀など自然の残る癒しの町でもあるらしい。

 まだ新百合に駅のなかった三十数年前は谷戸の村で、子供らはバケツに真黒になるほどおたまじゃくしをとり、鶯や蛍の里でもあった。

 何故若者が多くなったか聞いてみると、駅を中心にデパートや映画学校、映画館(ワーナーマイカルシネマズ)やシャレたブディックも多く、若者に限らず都心から中年女性までも映画を見たり食事をしたりの新百合族が多いという。

 灯台下暗しで、人事ひとごとと思っていたが自分の住んでいる町の変貌を探訪しようと思いたった。同年輩の友人も数年映画館に行っていないと誘いに乗った。私は三十年振りだが、その理由は別として、デパート六階のホールヘ一歩入ると、きらびやかな明るさに目がくらむ思いで思考も狂う。映画館といえばスターの看板などのイメージはどこかに吹き飛んで、ここは何処なのかととまどう。四、五人待っているコーナーでチケットを求めたが、どうも通じない。よく見るとポップコーンの売場だった。

 ようやくチケットとプログラムを手にしたが、殆んど洋画で見たいのが見当たらない。気が向かないまま「奥さまは魔女」に決め「初めてなのでどっちへ行っていいか解らなくて」と老人ふたり。若い係員が笑いながら席に案内してくれた。

 魔女が始まる前の十五分程の間、次の週の映画の予告がはじまる。それはヘリコプターが頭上を旋回しているような大音響に、とんでもない所に迷い込んだと思い、そのうちヘリも飛び去るだろうとガマン、ガマン。しかし魔女になってもたいして変らず、まだ耳は達者なのだから音をもう少しおさえてもと、いささか憤慨。字幕も疲れる。時々目をつむって休憩。隣の彼女は背もたれに頭を預けて眠っているらしい。ガマンの二時間が終了、照明で立ち上がった時は真中の席には私らとあと二、三人が残っているだけだった。

 「これからは後の席がいいね」と彼女が言う。私と同じことを思っていたらしい。時々映像も音響も止まる一瞬があり、その時は全く方角もわからない真の闇の恐怖を味わう。いつ来るか分らぬ地震への不安が心のどこかに潜んでいるのか。それでも帰りはエレベーターに乗っていた。

 二時すぎの遅い昼食は豆腐会席、映画館は冷えるかもしれないと用意した膝掛けは食事の時役立った。帰りに彼女が秋の上着を買いたいというので、ブディックを回っているうち、いつのまにか娘のブラウスを探していた。結局買物なしの一日新百合族は若いエネルギーを満喫して「こんど何を見るか、お互い研究しようね」と次を約束した。

(川崎市 郷土史研究家)

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随筆通信 月 2005年11月号/通巻35号


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