『春望』  池部淳子  (随筆通信 月41より)
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いわきファイルB
『春望』
池部淳子

 桜花満開、いわきも春となった感である。ただ、花冷えという季語が俳句にあるように、花時なのに急に気温が下がって、寒くなる日もある。いわきでは梅雨明けまで、ストーブを止めたり点けたりしてすごす。

 春になると思い出すものがある。それは杜甫の詩『春望』である。煙を吐き、汽笛を嶋らして走る蒸気機関車に45分位乗って通学した女子高校、そこに入学した一年生の時に習った漠詩である。

 不思議なことに私はこの詩を今でもそらんじることができる。覚えようとしたわけでなく、特別努力したわけでもない。ああ、いいなあ、と思ったら、詩の方から私の中に流れ込んだ。それ以来、消えない。
       国破れて山河在り
       城春にして草木深し
       時に感じては花にも涙をそそ
       別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
       峰火 三月に連なり
       家書 万金にあた
       白頭掻けば更に短く
       すべしんに勝えざらんと欲す
やがてこの詩は忘れられないもう一つの思い出を作った。

 脳血栓によって左半身不髄になった母を平成4年1月から平成9年3月までこの家を拠点に介護した。常にベッドから呼ぶ母の声が届く範囲に居て、母の周辺を離れることなく生活し、看病した。

 その時期のことであった。何がきっかけでそうなったかは覚えていないが、私が『春望』をくちずさむことがあった。すると母はとても喜んで、もう一度それを聞かせてくれと頼んだ。母は私がそらんじる『春望』を、味わうような静かな面持ちで聞いていた。私は母が望むままに何度も何度もそらんじて聞かせた。

 つかえると笑いあいながら、母もやがて覚え、共に暗唱した。妹が居る時には三人の声になった。
       クニヤブレテサンガアリ
       シロハルニシテソウモクフカシ
「杜甫ってすごいねえ」と言いながら、それ以後、親子で『春望』をそらんじることが度々あった。

 当時私は47歳、母は72歳、『春望』という共にそらんじた杜甫の詩に母はどんな思いであったのだろうか。72年生きた人生と47年の人生では内容が違うと、今になってわかる。

 同時に思うのは、詩という文学が、極々日常の親子を共に感動させたということである。文学が二人の心に同時に働きかけた。まぎれもなく文学に感動するという体験を親子にさせた『春望』は、文学の一つのモデルかもしれない。

(『月』発行人)

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随筆通信 月 2006年5月号/通巻41号

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