「竹林」  池部淳子  (随筆通信 月53より)
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竹林
池部淳子

 筍がスーパーマーケットに並ぶ季節になった。筍は姿を表わす時期が短いだけに晩春から初夏の季節感をはっきりと感じさせる。俳句でも筍は夏の季語と決まっている。

 竹林の方は年中目にするが、竹にも春秋を区別した季語がある。春先、竹は蓄えた養分を地下の筍に送るので葉が黄ばんで落葉する。これを他の植物の秋枯れになぞらえて「竹の秋」という。逆に秋には若竹は成長し、親竹も青々と茂ってくるので季語では「竹の春」となる。独特な季語である。

 筍を見ると、母の生家の屋敷裏にあった竹林を思い出す。さらさらと竹林の鳴る家を、心臓が弱かった祖父を早く亡くした小柄な祖母が守っていた。

 私と妹は子供時代「おばあちゃんの所へ行ってらっしゃい」ということで、長期の休みになると連れ立って母の生家、つまり祖母の所へ泊まりがけで出かけた。小学生の二人、家の近くからバスに乗って駅へ、汽車に乗って隣り駅まで、そこからバスに乗って終点までゆき、別なバスに乗り換えてさらに山奥へ。かなりの長旅であった。バスを降りると道路に出て待っている祖母の姿が見えた。祖母はバスが着く度に道路に出て、今か今かと待っていたという。

 黒々とした柱・天井板、広い座敷、風通しの良い長い廊下。小さかった私たちには広大に見えて、父母から離れた心細さを感じたものだった。でも、この祖母の家が私に残した思い出は多い。

 まず、今では滅多に見られない蔵があった。その側にダンキョとよばれていた大きな樹が白い花を咲かせた。庭には柿の木。柿の葉のみどりは艶々として美しい。実は軒下に干し柿となって並んだ。高台にあった家は廊下から村の一部が見下ろされ、村の暮らしが感じられた。夜は長い廊下の雨戸を閉める。一枚、一枚と繰っていくのを手伝った記憶がある。祖父が生きていた頃は、鮎が囲炉裏に串刺しになってならんだ。祖父は釣をはじめ、とても手先の器用な人だった。

 さて、夜になって風呂に入るときに、竹林の思い出がある。風呂は大きな桶のような風呂で木の匂いがした。風呂に沈んでいると側に小さな引き戸があって、それを開けると夜の外が見えた。といっても外は闇。ただ、さらさらと竹が鳴っているのが聞こえた。真っ暗闇が怖くて長く開けてはいられなかったが、竹の鳴る音は聞きたかったのを憶えている。

 祖母は子供たちの成長を見届けて、91歳でこの世を去った。武士の娘だった祖母は地味ないでたちだった。正座を崩さず、ごろ寝することは決して無かった。丁寧にとかしてまとめた髪が美しく、箱枕を使っていたのも鮮明な印象だった。

 家はもう当時のものではない。だが、庭には細りながらも当時の柿の木がある。竹林は今もあるが、側を流れている川に少しずつ侵食されて、しだいに減っているという。

(『月』発行人)

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随筆通信 月 2007年 5月号/通巻53号

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