「白真弓」雑感 A手ずるし  蒲 幾美  (随筆通信 月55より)
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「白真弓」雑感 A手ずるし
蒲 幾美

 日本海を渡ってきた冷たい季節風が中央脊梁せきりょう山脈にぶっつかって、あたりの高地に山雪を降らせる。とくに白川郷は雪深い。一夜ひとよさに2m近くも積もることがあった。

 山国白川郷は山峡に点在する二十余の村落で、夏でも気温は低く、そのうえ十一月から半年合掌造りの屋根も雪に埋もれると陸の孤島になり、したがって他村からの移住も離村も禁じられていた。

 今から百六十余年前の木谷の東屋は特に大家族で、巨大なかや萱葺きの切妻合掌造りは江戸中期の発生といわれている。耕地が少ない木谷、平瀬、御母衣、牧、長瀬の中切地方の五部落は耕地を分ければ百姓の身分を失うことになる(百姓の身分は耕地持ち十石以上とされ、名主は二十石以上となっており、分家をつくると十石を割るので百姓の名籍は剥奪された)。

 合掌屋根をすっぽり包むほどの雪が降り、りえ婆さんは昔は3mも積ったという。明治中期の記録に3.5mの積雪量がある。

 大きな赤ん坊が生まれたというめでたい話は木谷の家々にすぐ伝わった。熊の手のお蔭で母子とも元気じゃ「やっぱり血は争そえんなァ、母親よねの先祖に力持ちの大男が居たそうじゃ」と、明治生まれの新谷りえ婆さんが言った。赤ん坊は勇吉と名づけられた。

 私は勇吉の生涯を古老から聞いておかねばと思い、昭和20年前後何回か白川郷へ出かけた。古いしきたりや暮らしの伝承が多い平家の落人といわれる村。観光化されていない魅力にとりつかれていった。

 地元民謡に恋を伝える唄がある。
   ♪おれはお前に心がござる
    心あるなら手ずるしおくれ

 先ず男から女へ品物を贈る。女は手製の腕抜きなどを返礼する。公認の自由なじみぞい自由結婚であっても野合やごう(妻問い婚)で、子ができると子は母親が生家で育てる。母と子の絆はうぶ声をあげてから終生続いたのである。戸籍簿などない時代で母親の名は残っているが男親の名は見当らない。しかし子供は両親のもので男親も共に子育てに協力してシンガイ、、、、に励んだ(シンガイはへそくりで“新開”が語源か。公休を利用したり家長から許された休日の内職など小遣銭を得ること)。

 男親の思いが民謡“白川輪島”に唄い継がれている。
   ♪思い出すよお前のことを
    日には七くら(七度) 夜にゃ三度
   ♪んだ子も抱いた子も縁ぶち這う子も
    お前の子じゃもの たいてじゃあるまい
    気長にさっしゃれ

 男女が一つ家に住む大家族だが、男女の掟はきちんと守られていた。

 雪国北陸から伝わった仏教の信仰をもつ古くからの仏教どころだった。

(川崎市 郷土史研究家)

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随筆通信 月 2007年 7月号/通巻55号

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