「白真弓」雑感 Bシンガイ  蒲 幾美  (随筆通信 月56より)
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「白真弓」雑感 Bシンガイ
蒲 幾美

 子育ては平成の現在では男女平等、産後の有給休暇を男でもとれるとかとれぬとか。然し戦中派の女性には理解できないことだし、まして天保時代(一八三三)の母親は大変な苦労をしながら子供の成長の喜びの中で働いていた。

 木谷の百姓の暮らしは早朝から午後3時まで男女それぞれの持ち場で働き、その間に夏は七回の食事をとる。それが終るとようやく自由時間になり、それからがシンガイに精を出した。

 シンガイは言わばへそくり、、、、へそくりであり額は女親の方が多い。それは別居結婚でも哺乳と命の繋がりがあり、子育てには家長の食の扶養だけでは足らぬ。シンガイを増やして子の生育にあてねばならなかった。明治になり全国に小学校ができると子供の衣類や学用品など母親からの支出になる。

 シンガイの田畑の開墾は男たちには田が多く、田んぼで米や雑穀を作ったり、猟や歩荷ぼっかなど、女は山畑で野菜づくりや粟で貴重な飴を作る。麻を作りをうみ、、、から地機じばたで麻布を織る。養蚕は主に女の仕事だったが、シンガイで子供や自分用の機を織るなど、各自の持ち味を生かして、仕事は平等ではなかった。

 大世帯には何人もの赤ん坊や幼児がいたが、外仕事に出ている間、子供や老人の面倒を見ながら食事の仕度をする役割もある。外仕事から早く戻ってきた者が先ず自分の子でなくても腹をすかして泣いているのに乳を含ませる。どの子もみんな血縁の家族なのだ。

 少子化やいじめなどなく、大自然の流れのままに明るく暮らしていたのである。

 天保四年(一八三三)五月某日。飛州山野の竹篠、頃日花開き尋て実を結び、人民採食に充つ之を自然粳とも野麦ともいう。(飛騨編年史要)

 また雨多く気温低下して七年(一八三六)には六月土用に入りて尚止まず、老幼綿人れを着す、諸作不熟、山中村々の窮民、乞食のため高山町へ入るもの千人内外あり、飢寒に困み倒死するもの相次ぐ……など飢饉が続くが、木谷村の人々には悲惨の記録はない。日頃から飢饉に備えて山野草や葛根や雑穀などで身心を鍛えていたのである。

 神代の昔から国づくりのシンボルは女性という“山の神”として、男性は労働に励み、子育ての苦労は直接にはひびかなかったと思われる。家長は絶対的な立場で、次は年かさのおば、、たちで、男らは逆らわなかったという。

 飛騨にはゆい、、又はゆう、、(労働力の相互交換)と言うのがあった。村人総出、田植は早乙女が主役だった。秋の穫入れやかや萱屋根の葺替えなども男並みの体力で助け合った。

 女性上位は上州ばかりでなく、飛騨でも豊かな暮らしの陰には女性が尽くしている。

(川崎市 郷土史研究家)

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随筆通信 月 2007年 8月号/通巻56号

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