心にのこる人々 A守洞春さんのこと
蒲 幾美
洞春さんは飛騨の版画家であり、親友には木版画の世界の神様といわれる宗方志功氏ほか著名な版画家が多い。
洞春さんは酒豪で、いつもほろ酔い気分で、自分で切り揃えるオカッパの髪でセッタを鳴らしながら黒の作務衣に手製のB4大の皮のカバンを肩にかけ飄々と道を歩いていると思いきや、突然道路に座り、「いま神の声が聞えた」と、黒カバンの中から墨壺と大きな筆一本を出すや一気に何かつぶやきながらスケッチブックに描いてゆく。
それは雲上にそびえ立つ飛騨山脈で、左から加賀の白山、槍穂高連峯が右へ走り、蝸牛山(乗鞍)で筆をとめる早技なのだ。
町の人々は洞春さんのクセが出たと言い、神がかり的なので変人という目で眺めていた。
或る時私の夫吉右ェ門と盃を交しながら「わしはまだ旦那家の蒲酒造へは行ったことがないので紹介してもらえまいか」と頼まれた。何となく気がすすまなかったが、真剣な澄んだ目に引かれて案内することになった。
常時番頭の座る帳場の出居と旦那衆の家族の居間の境のふすまの前に座ると、物につかれたようにつぶやきながら墨壺の墨を大きい筆にふくますと一気に左から右へ書きなぐってゆく。そこには飛騨山脈にそびえたつ槍、穂高右へ蝸牛山(乗鞍)で筆を止めた。あれよあれよと思う間の出来事だった。
早々に洞春さんを連れ戻った。
翌朝私は昨日の洞春さんの失礼をわびに参上したのだった。
番頭さんのうしろのふすまは何ごともなかったように張替えられていた。
『飛騨の夜ばなし』を出版するとき、表紙と扉の絵の依頼に出かけた。少し時間がほしいと言われ、八重ちゃんと一週間後出かけた。洞春さんは博学、読書家でもあった。
表紙は白樺の年輪が版画になり、山と川のある町の象徴(青海波)が扉に。飛騨郡代のお白洲での庶民のさばきが刻まれていた。
(川崎市 郷土史研究家)
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